カテゴリー

天界と地獄217

216◀︎目次▶︎218

217  主の霊的な王国にいろいろな形の統治があり、ある社会の中のものは他の社会のものと同様ではありません――それらの社会が果たす機能にしたがって変化があります。
それらの機能はそれに対応する人間の中のすべての機能にしたがっており、それらがいろいろであることが知られています。というのは、あるものは心臓の機能に、あるものは肺に、あるものは肝臓に、あるものは膵臓と脾臓に、あるものは感覚器官のそれぞれの機能に対応するからです。
身体の中にこれらのいろいろな統制があるように、〝最大の人〟の中の社会にもまたいろいろな統制があります。
天界のすべてのものが人間のすべてのものと対応することは、その章の中に述べました(前の87~102)。
しかし、その中の統治のすべての形は、目的として公けの善を目指し、その公けの善の中のそれぞれの善を目指すことで一致しています(*6)。このことが生じるのは、全天界の中のすべての者は、すべての者を愛する主の導きのもとにあり、神的愛から共通の善が存在し、その共通の善から個々の者が自分自身の善を受けるように整えられるからです。それぞれの者もまた公共の善を愛するかぎり、善を受けます。なぜなら、だれかが共通のものを愛すれば愛するほど、それだけすべての者と個々の者を愛するからです――それは主の愛であるので、それゆえ、それだけ主により愛され、彼に善が生じます。


*6 すべての人間と社会は、さらに祖国と教会は、普遍的な意味で主の王国は隣人である。隣人の状態がどんなものかにしたがって、善の愛から彼らに善を行なうことが隣人を愛することである。そのようにそれらの善が隣人であり、考慮しなくてはならない共通の善でもある(6818-6824, 8123)。
公正である公民的な善もまた隣人である(2915, 4730, 8120-8123)。
ここから、隣人に対する仁愛は人間の生活のすべてと個々のものにまでひろがっており、どんな職務でも、またすべての働きで、善と真理への愛から善を愛して、そしてまた公正への愛から公正を愛して、善を行なうことは隣人を愛することである(2417, 8121-8124)。