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天界と地獄222

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222 けれども、天界の神礼拝そのものは、神殿をしばしば訪れること、また説教を聴くことではなく、教えにしたがった愛の生活・仁愛の生活・信仰の生活にあります。神殿での説教は、生活の事柄を教える手段のためにだけ役立ちます。
私はこれらの事柄について天使と話して、彼らに、「世では神礼拝は、神殿をしばしば訪れ、説教を聴き、毎年、三回あるいは四回の聖餐の礼典に出席し、教会の法令にしたがって礼拝し、祈りの時間を持つこと、その時、信心深く振る舞うことだけであると信じられています」と言いました。
天使は、「それらのことは行なわなくてはならない外なるものです、しかし、内なるものがないなら、その行為となって出てくるものには何も効力がありません。内なるものとは教えにある戒めにしたがった生活です」と言いました。