カテゴリー

天界と地獄236

235◀︎目次▶︎237

236  全天界の中で、すべての者の言語は一つであり、すべての者は、近くあるいは遠方の、どんな社会からの者であっても互いに理解しています。
そこでは言語は学ばれないで、それぞれの者に生来のものです。彼らの情愛と思考そのものから流れ出るからです。話し方の中で、音は彼らの情愛に対応し、音声の区切りは、それらは言葉であって、情愛からの思考の観念に対応します。言葉はこれらに対応するので、それらは霊的なものでもあります、なぜなら、音声を出している情愛と話している思考であるからです。
[2]注意深い者は、すべての思考は愛のものである情愛から存在することを、また思考の観念はその中に共通の情愛が分配されているいろいろな形であることを知ることができます。なぜなら、情愛のない思考と観念はまったく存在しないからです。思考と観念の魂といのちは情愛からです。
ここから、天使は他の者がどんなものであるかを話し方だけから、すなわち、音声から彼の情愛がどんなものであるか、音声の区切りまたは言葉から彼の心がどんなものであるか、知ります――賢明な天使は、ひと続きの話し方から、どんな情愛が支配しているかを知ります、なぜなら、彼らは特にそのことに注意深いからです。
[3]だれにもいろいろな情愛があることは、よく知られています。喜び・悲しみ・優しさと慈悲深さ・誠実さと真実・愛と仁愛・熱意または怒り・見せかけと欺き・名誉と栄光を求めること、等々、それらの中にいるときその情愛の中にいます。しかし、それらすべての中に、それらを支配している情愛または愛が存在します――それゆえ、賢明な天使は、このことを知覚しているので、話し方から他の者のすべての状態を知ります。
[4]このようであることを、多くの経験から知るようになりました。
私は、ただ他の者の話し方を聞くだけで彼のいのち(生活)を明らかにする天使のことを聞きました。彼らは、「その天使は、他の者のいのち(生活)のすべてを、その者の思考の何らかの観念から知ります、その観念から、すべてのものが秩序の中で内在している彼の支配愛を知るからです。これが人間の〝いのちの書〟にほかなりません」と言いました。