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天界と地獄266

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266  天使の知恵がどんなものであるかは、彼らが天界の光の中にいることから、天界の光はその本質では神的真理または神的知恵であり、この光は、心(mens)のものである彼らの内なる視覚と目のものである外なる視覚を同時に照らすことから結論することができます天界の光が神的真理または神的知恵であることは前の126-133番参照)。
さらにまた天使は本質では神的善または神的愛である天界の熱の中にいて、その熱から彼らに賢明であろうとする情愛と願望があります(天界の熱が神的善または神的愛であることは前の133-140番参照)。
天使は〝知恵〟と言われることができるほど知恵の中にいるので、そのことから、知恵を受け入れる彼らの思考と情愛のすべては天界の形にしたがって流れ出ること、その形は神的知恵の形であり、彼らの内的なものはその形へ作り上げられることを結論することができます(天使の思考と情愛は天界の形にしたがって流れ出る、したがって彼らの知性と知恵もまた流れ出ることは前の201-212番参照)。
[2]天使に卓越した知恵があることは、彼らの話し方が知恵の話し方であることからもまた明らかにすることができます。その話し方は思考から、その思考は情愛から直接にまた自発的に流れ出ており、このように彼らの話し方は情愛から外なる形の中へ流れ出る思考であるからです。ここから、彼らを神的な流入から引き離すものは何もなく、人間のもとの会話のように、他の思考から持ち込まれてその会話を妨げる外なるものもありません(天使の話し方が彼らの思考と情愛の話し方であることは234-245番参照)。
天使が目で見、感覚で知覚するすべてのものは対応であるので彼らの知恵に調和し、ここから対象は知恵に属すようなものを表象する形であることもまた、彼らのこのような知恵に一致しています(天界の中に現われるすべてのものは天使の内的なものとの対応であるであること、また彼らの知恵の表象であることは前の170-182番参照)。
[3]さらに天使の思考は、人間の思考のように、空間と時間の思考によって限定されないし、閉じ込められてもいません、なぜなら、時間と空間は自然に固有なものであり、自然に固有なものは霊的なものから心(mens)を連れ去り、知的な視覚の拡大を取り去るからです(天使の観念は時間と空間のないものであり、こうして人間のものに比べて限定のないものであることは前の162-169191-199番参照)。
天使の思考は、地的なものや物質的なものへ引き下げられることも、生活必需品についての心配によって妨害されることもありません。したがって、世の人間の思考のように、それらによって知恵の快さから連れ去られることもありません。すべてのものは彼らに主からただでもたらされ、ただで着せられ、ただで養われ、ただで住むからです(181-190番)。さらに加えて、主からの知恵を受け入れるのにしたがって、快さと楽しさを与えられます。
天使がどこからそれほどの大きな知恵をもつのか知られるためにこれらのことを述べました(*1)


*1 天使の知恵について、それは理解することのできない、言い表わすことができないものである(2795, 2796, 2802, 3314, 3404, 3405, 9094, 9176)。