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天界と地獄281

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281  私は天使と無垢について多くのことを語り、無垢はすべての善のエッセ(存在)であり、ここから善はその中に無垢があればあるほど、それだけ善であること、その結果、知恵は無垢により導かれれば導かれるほど、それだけ知恵であり、愛・仁愛・信仰も同様であり(*4)、ここから、だれもその者に無垢がないなら、天界に入ることができないことを知らされました――そのことが主により〔次のみことばで〕意味されています、

幼児(子ども)をわたしのところに来させなさい。止めてはなりません。天界の王国は、このような者のものです。まことに、あなたがたに言います。幼児(子ども)のように天界の王国を受け入れるのでなければ、だれも入ることはできません[マタイ19:14; 18:3]マルコ10:14, 15 ルカ 18:16, 17)。

そこの「幼児」によって、他の箇所のみことばのように、無垢が意味されます(*5)。さらにまた主により無垢の状態が述べられていますが(マタイ6:24, 25)、それは対応そのものによっています――善がその中に無垢を含めば含むほど善であることの理由は、すべての善は主からのものであり、無垢は主により導かれることを欲するからです。
さらにまた私は、無垢によらないなら、真理は善に、善は真理に結合することができないことも知らされました。ここからまた、天使は、彼の中に無垢がないなら天界の天使ではありません。なぜなら、ある者の中で真理が善と結合する以前に、その者の中に天界は存在しないからです――ここから善と真理の結合は天界の結婚と呼ばれ、天界の結婚は天界です。
さらにまた私は、真の結婚愛はその存在を無垢から導いていることを知らされました。善と真理の結合から、その中に二つの心(mens)が、すなわち、夫と妻の二つの心があるからです。その結合が降るとき、結婚愛の姿で現われます――なぜなら、夫婦は、彼らの心のように、互いに愛するからです。
ここから、結婚愛の中に幼児のようなまた無垢のような戯れがあります(*6)


*4 すべての愛の善と信仰の真理は、善と真理であるために、それ自体の中に(本質的に)無垢をもたなければならない(2526, 2780, 3111, 3994, 6013, 7840, 9262, 10134)。
無垢は善と真理の本質的なものである(2780, 7840)。
何らかの無垢がないなら、だれも天界の中に入れられない(4797)。
*5 ここには278番の*2と同じ記号が振られている。
*6 真の結婚愛は無垢である(2736)。
結婚愛は他の者が欲することを欲すること、このように相互に、交替に欲することである(2731)。
結婚愛の中にいる者は、いのちの最内部で一緒に住んでいる(2732)。
二つの心の結合があり、このようにそれらは愛から一つである(10168, 10169)。
真の結婚愛は、善と真理の結婚から起源と本質を得ている(2728, 2729)。
結婚のものがあるかどうか、善と真理の結合の観念から知覚をもつ天使的な霊について(10756)。
結婚愛は、善と真理の結合とまったく同様である(1904, 2173, 2508, 2729, 3103, 3132, 3155, 3179, 3180, 4358, 5807, 5835, 9206, 9207, 9495, 9637)。
それゆえ、みことばの中で「結婚」によって、天界の中にあるような、また教会の中になくてはならないような善と真理の結婚が意味される(3132, 4434, 4834)。