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天界と地獄282

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282  無垢は天界の天使のもとの善のエッセ(存在)そのものであるので、主から発出する神的善は無垢そのものであることが明らかです、なぜなら、その善は天使のもとに流入し、彼らの最内部に働きかけ、そして天界のすべての善を受け入れるように整え、適合させるものであるからです――幼児のもとでも同様です、主からの無垢の貫流によって、彼らの内的なものが形成されるだけでなく、さらにまた絶えず天界的な愛を受け入れるように整えられ、適合させられます。すでに述べたように、善の無垢はすべての善のエッセであるので、それは最内部に働くからです。
これらから、すべての無垢は主からであることを明らかにすることができます――ここから、主はみことばの中で小羊と言われています、なぜなら「小羊」は無垢を意味するからです(*7)
無垢は天界のすべての善の中の最内部のものであるので、それゆえまた、その無垢が心に働きかけるとき、それを感じる者は、このことは最内部の天界の天使が近づくことで起こりますが、自分が自分自身の支配下にないように、いわば取り去られるように見え、ここから、世のすべての快さと比べれば、その快さが何ら存在しないと思えるような快さを感じます――私はこのことを知覚したので、語っています。


*7 みことばの中の「小羊」は、無垢とその善を意味する(3994, 10132)。