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天界と地獄286

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286  平和がどこからなのか最初に述べます。
神的平和は、主の神性そのものと神的人間性の結合から存在し、その方の中にあります。
天界の神的平和は、天界の天使との主の結合から、個別的には、それぞれの天使のもとの善と真理の結合から存在し、その方からのものです――これらが平和の起源です。
このことから、天界の平和は、そこのすべての者の善に至福をもって内部で働きかけている神性であり、したがってその平和から天界のすべての楽しさがあり、その本質の中に主と天界との、また主とそこのそれぞれの者との結合から、主の神的愛の神的楽しさがあることが明らかです――天使の中で主により知覚され、また主から天使により知覚されたこの楽しさが平和です。
ここから派生したものによって、天使にすべての幸運・快さ・幸福、すなわち、天界の楽しさと呼ばれるものがあります(*1)


*1 平和は主からなので、平和によって最高の意味で主が意味される。内意では、天界にいる者は平和の状態の中にいるので、天界が意味される(3780, 4681)。
天界の平和はそこの善と真理のすべての至福をもって内部で働きかける神性であり、これは人間に理解できないものである(92, 3780, 5662, 8455, 8665)。
神的平和は善の中にある、けれども、善のない真理の中にはない(8722)。