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天界と地獄299

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299 人間の不安やゆううつ症と呼ばれる心(animus)の苦痛と内的な悲しみは、どこからなのかもまた知らされました。
〔霊たちの世界には〕最初の状態の中にいるので、まだ地獄と結合していない霊がいます。その霊については、このあと、「霊たちの世界」で述べます――彼らは胃の中の腐敗する食べ物のような未消化のものや有害なものを愛します。それらは彼らにとって快いものであるので、それゆえ、人間のそうしたもののところにこのような霊がいて、そのところで悪の情愛から互いに話し合っています。
彼らの会話での情愛がそこから人間のもとに流入し、もしその情愛がその人間の情愛と対立するものなら、彼にとって悲しみとゆううつな心配となります、けれども、もし適合するものなら、彼にとって喜びと快活さとなります。
その霊は胃の近くに現われ、ある者はその左に、ある者はその右に、ある者は下に、ある者は上に、また近くや遠くに、このように彼らの中にある情愛にしたがっていろいろなところに現われます。
心(animus)の不安はここからであることを、私は多くの経験から知らされ、確信しました。私は彼らを見、聞き、彼らから不安が起こるのを感じ、彼らと話し、彼らが追い払われると不安はやみ、彼らが戻ると不安が戻り、彼らの近づくことと遠ざかることにしたがって不安が増大し、減少するのを認めました。
ここから、自分に良心がないことから良心とは何か知らない者が、その苦痛を胃のせいにすることがどこからなのか、私に明らかとなりました(*5)


*5 良心をもたない者は、良心とは何か知らない(7490, 9121)。
良心とは何であるかを聞くとき、ある者は良心を嘲笑する(7217)。
ある者は良心が無価値であると信じ、ある者は身体の中の原因からまたは世の中の原因から苦痛をひき起す何らかの自然的な悲しみであると信じ、ある者は宗教的なものから一般の人々のもとの何らかのものであると信じる(206, 831, 950)。
真の良心・にせの良心・偽りの良心がある(1033)。
良心の苦痛は、不正・ふまじめによる、どんなものでも、人間が神に反し、隣人の善に反していると信じる悪による心の不安である(7217)。
神への愛の中に、隣人に対する仁愛の中にいる者に良心がある、けれども、これらの愛の中にいない者にはない(831, 965, 2380, 7490)。