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天界と地獄298

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298  人間のもとにいる霊は、天界に結びついている霊と同じく地獄と結びついている霊も、その霊自身の記憶とそこからの思考から、人間のもとに流入することは決してありません、なぜなら、もしその霊自身の思考から流入するなら、人間はその霊に属すものが、自分のものであるとしかわからないからです(前の256番参照)。しかし、それでも彼らを通して人間のもとに天界から善と真理への愛に属すものである情愛が、また地獄から悪と虚偽に属すものである情愛が流入しています。そこで、人間の情愛が流入するそれらの情愛と一致すればするほど、それだけその人間により彼自身の思考に受け入れられます、なぜなら、人間の内的な思考は完全に彼の情愛または愛にしたがっているからです。しかし、一致しなければしないほど、それだけ受け入れられません――ここから、人間のもとに霊を通して思考は持ち込まれないで、善への情愛と悪への情愛だけが持ち込まれます、人間に自由があり、選択があるので、このように思考によって善を受け入れることと悪を退けることができることが明らかです。なぜなら、何が善かまた何が悪か、みことばから知っているからです――人間が情愛から思考に受け入れるものもまた自分のものとされます、けれども、情愛から思考に受け入れられないものは自分のものとされません。
これらから、天界から人間への善の流入がどんなものであるか、また地獄からの悪の流入がどんなものであるか明らかです。