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天界と地獄306

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306  私は天界から以下のことを知らされました。
最古代人には直接の啓示があり、彼らの内的なものは天界に向かっていたので、ここからその時、人間との主の結合があった――けれども、彼らの時代の後、このような直接の啓示はなくなった、しかし、対応によって間接の啓示があった。これらのすべての神礼拝はそれらの対応から成り立ったからである。そこから、その時代の教会は表象的な教会と呼ばれた。その時、彼らは、対応とは何か、表象とは何か、また地上にあるすべてのものは天界と教会の中の霊的なものに対応する、すなわち、同じことであるが、それらを表象することを知っていたからである。それゆえ、彼らの礼拝の外なるものであった自然的なものは、彼らに霊的に考える手段として、このように天使とともに考える手段として役立った。
対応と表象の知識が記憶から消された後、その時、みことばが書かれ、そのみことばのすべての言葉とその意味は対応するものであり、このように霊的な意味すなわち内意を含み、その意味の中に天使がいる。それゆえ、人間がみことばを読むとき、またそれを文字どおりの意味または外なる意味にしたがって知覚するとき、天使はそれを内意すなわち霊的な意味にしたがって知覚する。天使のすべての思考は霊的であるが、人間の思考は自然的であるからである。それらの思考は確かに異なって見えるが、それでも対応するので一つである。
ここから、人間が天界から遠ざかり、きずなを破った後、主により、みことばによって人間と天界の結合の手段が備えられたのである。