カテゴリー

天界と地獄305

304◀︎目次▶︎306

305  しかし、人間は、自己愛と世俗愛によって、天界から自分の内的なものをそらし、それを世と自分自身へ向け、このように自分自身をもはや天界の土台や基礎として仕えないように遠ざけたことによって天界との結びつきを破ったので、主により天界にとって土台や基礎の代わりとなり、そしてまた天界が人間と結合する手段が備えられました。その手段がみことばです。
みことばがこのような手段としてどのように仕えるかは、『天界の秘義』の中に多く示されています。それらのすべては一つに集められて、「黙示録」の中の白い馬についての小著『白い馬』の中に、そしてまた『新しいエルサレムとその天界の教え』の付録の中に述べてあります。そこから、いくつかのものを左欄の「天界の秘義から」に示しておきます(*2)


*2 みことばは文字どおりの意味では自然的なものである(8783)。
その理由は、自然的なものは、その中に内的なものである霊的なものと天的なものが終わる最終的なものであり、これら内的なものはその最終的なものの上に、家がその土台の上にあるように存続するからである(9430, 9433, 9824, 10044, 10436)。
みことばがこのようなものであるために、それゆえ、対応そのものによって書かれている(1404, 1408, 1409, 1540, 1619, 1659, 1709, 1783, 8615, 10687)。
みことばは、文字どおりの意味ではこのようなものであるので、霊的なまた天界的な意味の容器として役立つ(9407)。
また、人間と同じく同時に天使にも適している(1769-1772, 1887, 2143, 2157, 2275, 2333, 2395, 2540, 2541, 2547, 2553, 7381, 8862, 10322)。
また、天界と地を結合している(2310, 2495, 9212, 9216, 9357, 9396, 10375)。
内意を手段として、みことばによって人間との主の結合がある(10375)。
みことばのすべてと個々のものによって結合があり、ここから、みことばはすべての文書にまさって驚くべきものである(10632-10634)。
主は、みことばが書かれた後、それによって人間と話される(10290)。
みことばがあり、それによって主が知られている教会は、みことばがなく、主が知られていない教会の外の者にとって、比べれば、いのちの源泉からのように、心臓と肺から生きる身体の残りのものにとって、人間の中の心臓と肺のようである(637, 931, 2054, 2853)。
地上の全教会は、主の前にひとりの「人間」のようである(7396, 9276)。
ここから、この地球に、みことばがあり、それによって主が知られている教会がなかったなら、ここの人類は滅びたであろう(468, 637, 931, 4545, 10452)。