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天界と地獄308

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309  みことばがない教会の外にいる者にもまた、みことばによる結合が存在します。なぜなら、主の教会は普遍的であり、主の神性を認め、仁愛の中に生きるすべての者のもとにあるからです。さらにまた、彼らは死後、天使により教えられ、神的真理を受け入れます(*4)。そのことについては、あとで「異教徒」についての章の中で述べます。
地上の普遍的な教会は、主の視野の中で、あたかも天界のようであり、ひとりの人間のようです(そのことについては前の59-72)。しかし、みことばが存在し、それによって主が知られている教会は、その人間の中の心臓や肺のようです。全身のすべての内臓と四肢は、心臓と肺からいろいろな派生物を通していのちを得ていることが知られています。したがって、みことばのある教会の外で生きる人間は、その人間の四肢を構成します。

みことばによって、遠く離れている者と天界が結合していることは、中心から周囲へ広がる光に比較することができます。みことばの中に神的光があって、そこに主が天界とともに現在されており、その現在から遠く離れた者もまた光の中にいます。もし、みことばがなかったなら、これと異なっていたでしょう。
これらのことは、前に示された天界の形と、その形にしたがってそこに交わりと伝達があることによって、さらに明らかにすることができます。
しかし、このアルカナは霊的な光の中にいる者に把握できるものであって、自然的な光の中だけにいる者には把握できません。なぜなら、霊的な光の中にいる者は無数のものをはっきりと見ますが、自然的な光の中にいる者はそれを見ないか、または一つの不明瞭なもののように見るからです。


*4 教会は、特に、みことばがあり、それによって主が知られているところに、このように天界から神的真理が啓示されているところに存在する(3857, 10761)。
主の教会は、全地球の中で自分自身の宗教にしたがって善の中に生きるすべての者のもとに存在する(3263, 6637, 10765)。
自分自身の宗教にしたがって善の中に生き、神性を認めるすべての者はどこにいても、主により受け入れられる(2589-2604, 2861, 2863, 3263, 4190, 4197, 6700, 9256)。
さらに、すべての幼児は、どこに生まれても〔主により受け入れられる〕(2289-2309, 4792)。