カテゴリー

天界と地獄321

320◀︎目次▶︎322

321 道義をわきまえて、従順と従属の生活を送り、自分自身の宗教にしたがって相互の仁愛の中に生き、ここから何らかの良心を得た異邦人は、来世で受け入れられ、そこで注意深く配慮されて天使から信仰の善と真理を教えられます。このことは私が多くのことから教えられたことです。また、教えられているとき、彼らは控えめで、聡明で、賢く振る舞い、容易に真理を受け入れ、その真理で教え込まれます。さらにまた、信仰の真理に反し、追い払うべきものである虚偽の原理を、まして主に対する反感を、何も自分自身に形作りませんでした。キリスト教徒の多くの者のように、主について、〝主は普通の人間である〟といった観念を抱くこともありませんでした。異邦人は、神が人間になられ、そしてこのようにご自身を世に現わされたことを聞くとき、直ちにこのことを認め、「神は天と地の神であられ、また人類は神のものであるので、完全にご自分を現わされた」と言って、主を崇拝します(*3)
主がおられなくては救いがないことは神的真理です。しかし、このことは〝主によらなくては何も救いはない〟と理解してはなりません。
宇宙には多くの地球があり、そのすべては住民で満ちています。そこのほとんどの者が、主が私たちの地球で人間性をまとわれたことを知りません。しかしそれでも、彼らは神性を人間の形のもとに崇拝するので、主により受け入れられ、導かれています。このことについては、小著『宇宙間の地球』の中に見られます。


*3 異教徒の中にある善とキリスト教徒の中にある善の間の相違(4189, 4197)。
異教徒のもとの真理について(3263, 3778, 4190)。
異教徒のもとでは、内的なものは、キリスト教徒のもとのように、閉ざされることはできない(9256)。
自分自身の宗教にしたがって相互の仁愛の中に生きる異教徒のもとには、何ら仁愛の中に生きないキリスト教徒のもとにあるほどの雲は存在することができない。その理由(1059, 9256)。
異教徒は教会の聖なるものをキリスト教徒のように冒涜することができない、それらを知らないからである(1327, 1328, 2051)。
彼らはキリスト教徒を〔その〕生活ゆえに恐れる(2596, 2597)。
自分自身の宗教にしたがってよく生きた者は、天使により教えられ、容易に信仰の真理を受け入れ、主を認める(2049, 2595, 2598, 2600, 2601, 2603, 2861, 2863, 3263)。