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天界と地獄322

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322 キリスト教徒のように異邦人の間にも賢明な者と単純な者がいます。
私は彼らがどのような者であるか教えられるために、両者と時々、何時間も、何日間も話すことが与えられました。
しかし、今日では、賢明な者は、古代のように、特に古代教会の中のようには存在しません。古代教会とはアジアの世界を通して広がり、そこから宗教が多くの異教徒に広がった教会です。
彼らがどのような者であるか知るために、私はある者と親しく話すようになりました。
私のもとにある者がいましたが、昔、彼は賢人たちのひとりであり、学界で知られていました。私は彼といろいろなことについて話し、その者がキケロであると信じるようになりました。
私は彼が賢人であったことを知っていたので、知恵・知性・秩序・みことば、最後に、主について彼と話しました。
[2]知恵について、彼は、「生活に属す以外の他の知恵は存在しない。また知恵は生活以外の他の事柄について述べられることができない」と言い――知性について、「これは知恵からである」――秩序について、「秩序は最高の神からである。またその秩序の中で生きることは賢明で、知的である」と言い――みことばについては、私が預言者から何かを彼に読んで聞かせたとき、大いに喜び、特に、個々の名前が、また個々の言葉が内的なものを意味していることを最大に喜び、今日の学者たちがこのような研究を喜ばないことを非常に不思議がりました。
私は、彼の思考または心(mens)の内的なものが開かれていることをはっきりと知覚しました。
彼は、「聖なるものを知覚し、心の内なるものが耐えることができないほどに、感動させられるので、この場にいることができない」と言いました。
[3]最後に、彼と主について話しました。〝人間〟として生まれたこと、しかし、神から受胎し、母からの人間性を脱がれ、神的人間性を着られたこと、その方は全世界の支配者であられることです。
彼はこれらに答えて、「主について多くのことを知っていた」。またそのことを認めて、「もし人類が救われるならこれと異なる方法で行なわれることはできなかったであろう」と言いました。
その間に、ある悪いキリスト教徒がいろいろなつまずきの石〔考え〕を注ぎ込みました。しかし、彼は、「彼らは、いのちが身体の中にあったときふさわしくないようなものを吸収しており、このようなつまずきの石が追い払われてしまう前に、無知な者のように、真理を確信する思いを入れることはできないので、不思議ではない」と言い、それらのつまずきの石について気にしませんでした。