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天界と地獄325

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325 ある朝、離れたところから合唱が聞こえました。合唱隊の表象するものから、中国人であるとわかりました。それらが、ある種の毛深い山羊・キビの菓子・象牙のさじ、そのようにまた水に浮かぶ都といった観念を示したからです。
彼らは私のところに近づくことを願い、私に寄り添ったとき、自分たち自身の考えを打ち明けるために、私とだけになりたいと言いました。
しかし、「来客なのだから、私とだけいてはなりません、私とだけになりたいことに憤っている他の者がいます」と言われました。
彼らはその憤りを知覚したので、隣人に対して間違いを犯したのではないか、他人のものを何か自分自身に要求したのではないか、という思いに落ち込みました(来世ではすべての思考が伝達されます)。彼らの心の動揺が知覚されましたが、それは他の者を傷つけたかもしれないと認めることと、さらにそこからの恥、また他の一つの正直な感情でした。ここから、彼らが仁愛をもっていることが認められました。
間もなく私は彼らと話し、さらにまた最後に主について話しました――私が主をキリストと呼ぶとき、彼らにある種の嫌悪感があるのを知覚し、その原因が明らかにされました。彼らはキリスト教徒が自分たちよりも悪い生き方をすること、また仁愛の中にいないことを知っていたので、その嫌悪感を世からもってきたのです。しかし、私が単に主と呼ぶとき、彼らは内的に心を動かされました。
その後、天使により、キリスト教の教えは全世界中の他のすべての教えにまさって愛と仁愛を定めていること、しかし、それらにしたがって生きる者が少ないことを教えられました。
世で生きたとき、交際とうわさから、キリスト教徒が悪い生活を送っていることを知った異邦人がいました。その生活とは、例えば、姦淫・憎悪・けんか・酒びたり、それらのようなものの中に生きることであり、このようなものは彼らの宗教に反しているので、彼らに恐怖をひき起しました。
彼らは来世で他の者よりも信仰の真理を受け入れるのに臆病な者です。
しかし、天使から、キリスト教の教えと信仰そのものは、まったく別のものを教えていること、しかしその教えにしたがって生きる者は異邦人よりも少ないことを教えられます――そのことがわかるとき、彼らは信仰の真理を受け入れ、主を崇拝します、しかし、〔それは他の者よりも〕遅く〔です〕。