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天界と地獄368

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368 さらにまた、夫と妻の心の最内部にこのような結合が存在するのは、創造そのものから来ています。なぜなら、男は知的であるように、したがって理解力から考えるように生まれ、女は意志であるように、したがって意志から考えるように生まれているからです。さらにまた、このことはそれぞれの性向または生来の性質から、また形から明らかです――生来の性質からは、男は理性から行動しますが、女は情愛から行動します。形からは、男の顔はゴツゴツしていて、美しくなく、話し方は重々しく、身体は固いですが、女の顔は滑らかで、美しく、話し方は穏やかで、身体は柔軟です。
同様の違いが理解力と意志の間に、あるいは思考と情愛の間にあり、さらにまた真理と善の間も、信仰と愛の間も同様です。なぜなら、真理と信仰は理解力に属し、善と愛は意志に属すからです。
ここから、みことばの中で「若者」と「男」によって霊的な意味で真理の理解力が、そして「娘」と「女」によって善への情愛が意味されます。そしてまた教会は、善と真理への情愛から、「妻」そしてまた「娘」と呼ばれます。なおまた、善の情愛の中にいるすべての者が「処女」と呼ばれています(*2)例えば、黙示録 14:4) 。


*2 みことばの中で「若者」は、真理の理解力を、すなわち、知性を意味する(7668)。
「男」も同様である(158, 265, 749, 915, 1007, 2517, 3134, 3236, 4823, 9007)。
「女」は、善と真理の情愛を意味する(568, 3160, 6014, 7337, 8994)――なおまた教会も(252, 253, 749, 770)――そしてまた「妻」も(252, 253, 749, 770)。その相違ともに(915, 2517, 3236, 4510, 4822)。
「夫と妻」は、最高の意味では、主について、そして天界と教会とのその方の結合について言われる(7022)。
「娘(処女)」は善への情愛を意味する(3067, 3110, 3179, 3189, 6731, 6742)。そしてまた教会も(2362, 3081, 3963, 4638, 6729, 6775, 6788)。