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天界と地獄384

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384 地上の結婚は、人類の苗床であり、また天界の天使の苗床でもあり(なぜなら、前の章で示されたように「天界は人類から存在する」からです)、さらに霊的な起源から、すなわち、善と真理の結婚からのものであり、そして主の神性はおもにその愛の中に流入するので、それゆえ、天界の天使の前に最も聖なるものです。逆に、姦淫は結婚愛に対立しているので、彼らから神聖を汚すものとして見られます――なぜなら、天使は結婚の中に天界である善と真理の結婚を見るように、姦淫の中に地獄である虚偽と悪の結婚を見るからです――それゆえ、姦淫の言葉を聞くだけで、身を背けてしまいます。そのことが、人間が快さから姦淫を犯すとき彼に天界が閉ざされることの理由です。天界が閉ざされるので、もはや神性も、教会の信仰の何らかのものも認めません(*8)
私は、地獄にいるすべて者が愛に対立していることを、そこから発散されたスフェアから知覚するようになりました。そのスフィアは結婚を解消し、踏みにじろうとする絶え間のないコナトゥス(努力)のようです――そのスフェアから、地獄の中で支配している快さは姦淫の快さであること、また姦淫の快さは、天界をつくる結合である善と真理の結合を破壊する快さでもあることが明らかとなりました。ここから、姦淫の快さは天界の快さである結婚の快さに正反対の地獄の快さであることがいえます。


*8 姦淫は冒涜である(9961, 10174)。
姦淫する者に天界は閉ざされる(2750)。
姦淫の中に快さを知覚する者は、天界に来ることができない(539, 2733, 2747-2749, 2751, 10175)。
姦淫する者は無慈悲であり、宗教的なものがない(824, 2747, 2748)。
姦淫する者の考えは不潔である(2747, 2748)。
来世で、彼らは汚物を愛し、地獄のそのようなものの中にいる(2755, 5394, 5722)。
みことばの中の「姦淫」によって、善の不純化が意味され、「淫行」によって、真理の曲解が意味される(2466, 2729, 3399, 4865, 8904, 10648)。