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天界と地獄385

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385 いのちが身体の中にあったときの習慣から、独特な策略で私を悩ませ、このことを正直な霊によくあるような、いわば波のように動くいくぶん柔らかな流入によって行なった霊がいました。しかし、捕らえ、欺くための狡猾さやそれに似たものが、彼らの中にあることがわかりました。
ついに私は彼らのひとりと話し、「私は世で生きたとき、軍隊の司令官であった」と言われました。彼の思考の観念の中に好色があるのを知覚したので、私は結婚について、表象的なものとともに、意味を十分に、また瞬間に多くのことを表現する霊的な言葉で彼と話しました。
彼は、「身体の中で生きたとき、姦淫を大したこととは思わなかった」と言いました。
しかし、彼に、「姦淫は極悪です。たとえとりこにするような快さから、またそこからの確信から、むしろ許されるようなものに見えても、姦淫はそのようなものです」と言うことが与えられました。さらにまた、「このことを、結婚は人類の苗床であり、ここから天界の王国の苗床でもあり、それゆえ、決して踏みにじってはならず、聖なる思いを抱くべきものであることから知ることができます。なおまた、来世にいて、知覚の状態の中にいるので、結婚愛は主から天界を通って降ること、またその愛から、両親からのように、天界の支柱である相互愛が導かれることから知ることができます」と言いました。このことから、姦淫する者は、ただ天界の社会に近づくだけで、自分自身の悪臭に気づき、そこで自身自身を地獄へ向けて突き落とします――さらに、「あなたは少なくとも、結婚を踏みにじることは、神的な秩序と人間の秩序に、他にも多くのことに反しているので、神的な律法に反し、またすべての国の民法に反し、さらに理性の本物の光に反していることを知ることができたはずです」と言いました。
しかし、彼は答えて、「いのちが身体の中にあったとき、このようなことは考えなかった」と言い、このようであるかどうか、推論してみようとしました。しかし、彼に、「真理は推論することを許しません、推論は、快さに、したがって悪と虚偽に味方するからです。それで言われたことについて、それは真理なので、または、世で最もよく知られている〝他の者が自分自身に行なうことを欲しないことをだれも他の者に行なってはならない〟という原則からも、最初に、そのことについて考えなくてはなりません。また、もしだれかが、すべての結婚で最初にそうであったように自分自身の最愛の妻を、このような方法で欺いたなら、その時、そのことについて激しく怒った状態の中にいて、その状態から話すなら、自分自身も姦淫を嫌ったかどうか、そしてその時、あなたは才能が与えられているので、他の者よりも姦淫に反対し、そのことを地獄へと断罪するようにまでも確信したか、考えなくてはなりません」と言いました。