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天界と地獄406

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406. 私は、世から最近やってきた霊と何度か、永遠のいのちの状態について話して、「王国の主はだれか、統治とその統治の形態はどのようなものか知ることは重要です。世でも他の国に行く者にとって、その国の王がだれで、どんな王か、どのような統治か、またその王国の多くの事柄について知ることが最優先されるようなものです。永遠に生きることになるこの王国ではそれらを知ることがさらに重要です。
それで、天界を、そしてまた全世界を支配する者が主であられることを知らなくてはなりません、なぜなら、一方を支配する者はもう一方も支配するからです。したがって、今いる王国は、主のものであり、この王国の法律は永遠の真理であり、それらすべては、すべてにまさって主を、また自分自身のように隣人を愛するという律法に基づいています。それどころか、それで、もし天使のようでありたいなら、自分自身よりも隣人を愛することが必要です」と言いました。
[2]彼らがこれらのことを聞いたとき、いのちが身体の中にあったときにこれらのことを聞いたけれども信じなかったので、何も返事ができないで、天界の中にこのような愛があり、それぞれの者が自分自身よりも隣人を愛することがありうることに驚きました――しかし、「すべての善は来世で計り知れないほど増大する。物質的なものの中にあるので、いのちは身体の中で、隣人を自分自身のように愛することを超えて先に進むことができないようなものとなっている。しかし、これら〔物質的なもの〕から遠ざかる時、愛はさらに純粋になり、最後に天使の愛となり、それは隣人を自分自身よりも愛することである――なぜなら、天界の中で快さは他の者に善を行なうことであり、自分自身に善を行なうことには、もし、他の者のものになるように、このように他の者のためにでないなら、快さはない。そして、これが自分自身よりも隣人を愛することである」と知らされました。
[3]「世でもこのような愛がありうることを明らかにすることができる。例えば、配偶者が害われるよりもむしろ〔自分が犠牲となる〕死を選んだ者の結婚愛から、幼児が飢えるのを見るよりも飢えを受け容れた母のような、子どもたちに対する両親の愛から、また、友の代わりに危険を引き受けるといった誠実な友情から、また誠実さをまねて、好ましいものを贈り、よろしく、と言うような、礼儀正しい友情や見せかけの友情からである。そのとき、たとえ心からでなくても口で好ましいものをもたらしている。最後に、自分自身のためでなく、他の者のために、他の者に仕えることが楽しさであるといったような愛の性質からである」と言われました。
けれども、自分自身を他の者にまさって愛した者、身体のいのちの中で利益を欲しがった者は、これらのことを理解できませんでした。すべての者のうちで貪欲な者たちは最も理解できませんでした。