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天界と地獄450

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450. 天的な天使は生き返る者のもとにいるとき、だれをも愛しているので、彼を置き去りにしません。しかし、その霊が天的な天使の交わりの中にいることがこれ以上できないようなものである時、その霊は彼らが去ることを望みます。そのことが起こるとき、主の霊的な王国から天使がやって来て、彼らによってその霊に光の享受が与えられます、なぜなら、以前には何も見ないで、ただ考えるだけであったからです――このことがどのように起こるかもまた示されました。
あたかも左の目の被膜を鼻の中隔(鼻柱)に向けて巻き取るかのようにしている天使が見られました、目を開け、見ることができるようにするためです。霊は、そのようになされるとしか把握しません、しかし外観です。
被膜を巻き取ることが見られるとき、ある輝くものが見えます、しかし、人間が目覚めるとき最初にまぶたを通して見る時のように、ぼんやりしたものです。私には、このぼんやりした輝きは天界の熱からのものに見えました。しかし、その後、「これには変化が伴っています」と言われました。
その後、あるものが顔から優しく巻き取られるのが感じられ、それがなされると、霊的な思考がもたらされます――それを顔から巻き取ることもまた外観です、なぜなら、そのことによって、自然的な思考から霊的な思考にやって来ることが表象されるからです。
天使は、生き返ることにより、愛から味わうもの以外に何らかの観念が生じないように、最高度の働きで用心し、その時、彼に霊であることを言います。
霊的な天使は、光の享受が与えられた新しい霊に、その状態の後で、望むあらゆる親切を常に行ない、来世にあるものについて、把握することができるかぎり教えます。
しかし、もし生き返った者が教えられることを欲しないようなら、その時、彼は天使の交わりから去ることを願います。しかしそれでも、天使は彼を置き去りにしないで、彼が自分自身を天使から引き離します。天使はだれをも愛し、親切にすること、教えること、天界に連れて行くことを何よりも望み、このことに彼らの最高の喜びがあるからです。
その霊が自分自身をこのように引き離すとき、善霊によって迎えられ、彼らとの交わりの中にいるとき、またも彼にあらゆる親切がなされます――しかし、もし彼の生活が世で、善の交わりの中にいることができないようなものであったなら、その時もまた、彼らから去ることを願い、このことが、世での彼の生活と完全に一致するような者と交わって、彼らのもとで自分自身の生活を見いだすまで、それだけ長く、何度もあります。その時、驚くべきことに、世で送ったのと同じような生活を送ります。