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天界と地獄474

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474 しかし、意志が人間をつくるものであり、思考はただ意志から発出するかぎり、その程度にだけつくること、行為または働きはこの二つのものから発出すること、あるいは、同じことですが、愛が人間をつくるものであり、信仰はただ愛から発出するかぎり、その程度にだけつくること、行為または働きはこの二つのものから発出することを知らなくてはなりません――ここから、意志または愛が人間そのものである、といえます。なぜなら、発出したものは、発出するものに属すからです。発出することは、把握され、見られるように、適当な形の中に生み出され、示されることです(*2)
これらから、愛から分離した信仰とは何か、すなわち、それは何ら信仰ではなく、単なる知識であって、それ自体の中に何も霊的ないのちをもたないものであること、同様に、愛のない行為または働きとは何か、すなわち、それはいのちの行為または働きではなく、悪の愛と虚偽の信仰からのものが内在する、いのちの外観をもった死の行為または働きであることを明らかにすることができます。このいのちの外観が、霊的な死と呼ばれるものです。


*2 人間の意志は、愛または善の容器であるので、彼のいのちのエッセ(存在)そのものであり、理解力は、信仰または真理の容器であるので、ここからのいのちのエキシステレ(実在)である(3619, 5002, 9282)。
そのように、意志のいのちは人間の主要ないのちであり、理解力のいのちはここから発出する(585, 590, 3619, 7342, 8885, 9282, 10076, 10109, 10110)。
火あるいは炎から発出する光と同様である(6032, 6314)。
ここから、人間は意志とここからの理解力から人間であることがいえる(8911, 9069, 9071, 10076, 10109, 10110)。
それぞれの人間もまた、彼の意志の善とここからの理解力にしたがって、他の者から愛され、尊重される。よく意志し、よく理解する者は愛され、尊重され、そして、よく理解しても、よく意志しない者は退けられ、さげすまれるからである(8911, 10076)。
人間は死後もまた、彼の意志とここからの理解力を持ち続ける(9069, 9071, 9386, 10153)。
それゆえ、人間は死後、彼の愛とここからの信仰を持ち続け、信仰に属すものであっても、同時に愛に属さないものは、人間の中に存在せず、そのように人間に属すものではないので、その時、消滅する(553, 2364, 10153)。