カテゴリー

天界と地獄473

472◀︎目次▶︎474

473 行為または働きは、意志と思考に属すので、それゆえ、愛と信仰にも属します。したがって、愛と信仰がどんなものであるかによって、そのようなものとなります――なぜなら、愛と言っても、あるいは人間の意志と言っても同じであり、信仰と言っても、あるいは人間の確固たる思考と言っても同じであるからです。なぜなら、人間は愛するものを、意志もするし、人間は信じるものを、考えもするからです――人間が信じるものを愛するなら、その時、それを意志し、愛するかぎりそれを行なうことができます。
意志は愛によって燃え上がり、思考は信仰の事柄の中で照らされるので、だれもが愛と信仰は人間の意志と思考に内在し、それらの外に存在しないことを知ることができます。それゆえ、賢明に考えることのできる者しか照らされることはなく、照らしにしたがって、真理を考え、真理を欲します、あるいは同じことですが、真理を信じ、真理を愛します(*1)


*1 秩序にしたがって存在している全世界の中のすべてのものは善と真理に関係するように、そのように人間のもとのすべてのものは意志と真理に関係する(803, 10122)。
その理由は、意志は善を受け入れるもの、理解力は真理を受け入れるものであるからである(3332, 3623, 5232, 6065, 6125, 7503, 9300, 9995)。
信仰は真理に属し、真理は信仰に属すので、真理と言っても、あるいは信仰と言っても同じことになる。そして愛は善に属し、善は愛に属すので、善と言っても、あるいは愛と言っても同じことになる(4353, 4997, 7179,10122, 10367)。
ここから、理解力は信仰を受け入れるもの、意志は愛を受け入れるものであることがいえる(7179, 10122, 10367)。
人間の理解力は神への信仰を受け入れることができ、意志は神への愛を受け入れることができるので、人間は信仰と愛で神と結合されることができ、愛と信仰で神と結合されることのできる者は、永遠に死ぬことがない(4525, 6323, 9231)。