カテゴリー

天界と地獄 495

494◀︎目次▶︎496

495 〔霊たちの世界に〕新しく来た霊の生活は自然界での彼らの生活と似ているので、また彼らは死後の自分のいのち(生活)の状態について、天界と地獄についても、みことばの文字どおりの意味とそこからの説教で学んだこと以外に何も知らないので、それゆえ、身体の中にいて、世でもっていたすべての感覚をもっていることに、また似たものを見ることに驚いた後、天界がどんなものか、地獄がどんなものか、そしてどこにあるのか知りたいと願うようになります。
それゆえ、友から永遠の生活について教えられ、またいろいろな場所へ、いろいろな交わりの中へ連れて行かれます。ある者は都へ、また庭園や楽園へも連れて行かれますが、多くの場合、それらは荘厳なものです、これらのものが彼らの外なるものを楽しませるからです。
時々、死後の自分の霊魂の状態について、また天界と地獄について、いのちが身体の中にあったときにもっていた自分の思考に導かれることがあり、その時、自分たちがこのようなことにまったく無知だったことに、教会もまた無知であることに憤慨します。
ほとんどすべての者は、天界に行けるかどうか知ることを望みます――大部分の者は、〝世で道徳的で市民的な生活を送ったので天界に行ける〟と信じています。悪い者と善い者が似たような外なる生活を送り、同じように善を行ない、そして同じように礼拝所をしばしば訪れ、説教を聴き、祈っていることを思いません、また外なる行動や外なる礼拝は何もなさないで、内なるものがなすのであって、外なるものはそれらから発出するものであるということをまったく知りません。
数千人のうち、かろうじてひとりだけが、内なるものが何か、また人間の内なるものの中に天界と教会があることを知っています。意図と思考がどんなものであるかによって、外なる行動もそのようなものとなり、これらの中に愛と信仰があって、それらから存在することについては、なおさら知りません。また教えられても、考えることと意志することが重要であることがわからないで、話すことと行動することだけが重要であるとしかわかりません。
今日、キリスト教界から来世にやって来る者の大部分はこのようです。