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天界と地獄 517

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517 天界の中の教育は地上の教育とは異なっていて、その認識が記憶にとどまらないで、生活の認識であることです――なぜなら、霊的な記憶は彼らの生活の中にあるからです。彼らの生活に一致するすべてのもの受け入れ、吸収し、一致しないものは受け入れず、まして吸収しないからです。なぜなら、霊たちは情愛であり、ここからその情愛と似た人間の形の中にいるからです。
[2]このようであるので、役立ちの生活のために真理への情愛が常に吹き込まれています。主は、それぞれ者がその性格にふさわしい役立ちを愛するよう、彼らに備えられ、その愛もまた天使になることの希望によって高揚されるからです――天界のすべての役立ちは、彼らの祖国である主の王国のためのものである共通の役立ちに関係するので、すべての特殊なものと個々のものの役立ちは、どれだけその共通の役立ちをより近く、またより多く眺めるかによって、それだけすぐれたものとなっています。ここから、すべての特殊なものと個々のものの役立ちは、無数であり、善と天界です。それゆえ、それぞれの者のもとで真理の情愛が役立ちの情愛に一つのものとして活動するようにまでも結合されています――そのことによって役立ちの真理が植え付けられ、こうして彼らの学ぶ真理は役立ちの真理です。
このように天使的な霊は教育され、天界へと準備されます。
[3]役立ちにふさわしい真理の情愛は、いろいろな方法によってしみ込んでいますが、その方法の大部分は世の中で知られていません。それは特に、役立ちを表象するものよってしみ込んでいて、霊界では千もの方法で示され、心のものである内的なものから身体のものである外的なものへ、こうして全体に働きかけるような歓喜と快感をもって、霊に浸透しています。ここから霊は、いわばその役立ちとなります。
それゆえ、教育によって導かれて、自分の社会の中にやって来て、自分の役立ちの中にいるとき、自分の生活の中にいるのです(*2)
これらから、だれかを天界にやって来るようにするものは、外なる真理である認識ではなく、生活そのものであること、認識によって与えられた役立ちの生活であることを明らかにすることができます。


*2 すべての善には、その役立ちから、役立ちにしたがって、その快さがあり、そしてまたそれがどんなものか定まっている。ここから、どのような役立ちかによって、そのような善となっている(3049, 4984, 7038)。
天使の生活は、愛と仁愛の善から、したがって実行する役立ちから成り立つ(454)。
主により、ここから天使により、人間のもとに目的以外に眺められるものはなく、それは役立ちである(1317, 1645, 5854)。
主の王国は役立ちの王国である(454, 696, 1103, 3645, 4054, 7038)。
主に仕えることは役立ちを実行することである(7938)。
人間は、彼のもとの役立ちがどんなものであるかによって、そのようなものである(1568, 3570, 4054, 6571, 6935, 6938, 10284)。