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天界と地獄 518

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518 学問があり、みことばや教会の教えから多くのことを知っていて、こうして賢明であり、知性があり、またその者について「大空の輝きのように輝き……星のようになる」(ダニエル書12:3)と言われていることを信じて、世での考えから、天界に行くことを、また他の者よりも受け入れられることを確信した霊がいました――しかし、彼らの思考〔認識?〕が記憶の中に住んでいるのか、あるいは生活(いのち)の中に住んでいるのか調べられました。
身体的なものと世俗的なものから分離した本質的に霊的な役立ちのために真理への本来の情愛の中にいた者は、教えられた後、天界の中に受け入れられ、その時、彼らに、何が天界の中で輝くものが何か知ることが与えられます。すなわち、役立ちの中で、神的真理は天界の光であり、役立ちは、その光の輝きを受けて、いろいろな輝きに変える面であることです。
けれども、認識がただ記憶の中だけに住んでいて、ここから真理について推論し、受け入れたものを原理として確信する能力を得た者は、確信の後、虚偽であっても真理のように見ました。彼らは何ら天界の光の中にいないで、それでも高慢からの信念の中にいたので、彼らにはたいてい、〝他の者より学問があり、したがって天界に行き、天使が自分たちに仕えることになる〟といったような知性が付着しています。それゆえ、彼らは自分自身の愚かしい信念から遠ざけられ、天使のある社会の中に導き入れられるために、最初の、または最外部の天界へ上げられました。しかし、入り口に行ったとき、天界の光の流入のために目が暗黒に包まれ、その後、理解力が混乱させられ、最後に、死にかけているようにあえぎ、また天界的な愛である天界の熱を感じるとき、内部で苦しめられ始めました――それゆえ、そこから投げ落とされ、その後、認識は天使をつくらないで、認識によって得られた生活そのものが天使をつくることを教えられました。認識は本質的に眺められたとき、天界の外部にあり、認識による生活は天界の内部にあるからです。