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天界と地獄 525

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525 キリスト教界から来世にやって来る大部分の者は、直接の慈悲から救われるという信仰を抱いています、なぜなら、慈悲を切願するからです。しかし、調べられたとき、天界が何か、天界の楽しさが何か、まったく知らないで、天界に入ることは単に入るのを許されることであり、入れられた者は天界の楽しさの中にいると信じていたことがわかりました。
それゆえ、彼らに、「天界は主によりだれにも拒まれていない。もし願うなら、入れられ、さらにまたそこにとどまることができる」と言われます。
このことを願った者は、入ることを許されました。しかし、最初の入り口に来たとき、天使たちを包む愛である天界の熱のそよぎから、また神的真理である天界の光の流入から、自分自身の中に天界の楽しさに代わって地獄の責め苦に気づき、そのような心の苦悶に襲われ、その責め苦に打たれて、そこから真っ逆さまに自分自身を投げ落としました。
このように、生きた経験によって、だれにも天界は直接の慈悲から与えられることはできないことを教えられます。