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天界と地獄 567

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567 熱には二つの起源があります――一つは主である天界の太陽、もう一つは世の太陽です。
天界の太陽または主からの熱は、霊的な熱であり、その本質は愛です(前の126-140番参照)。けれども、世の太陽からの熱は、その本質は愛ではなく、霊的なまたは愛の熱の容器として仕えるものです。
愛はその本質で熱であることは、愛から心(animus)が、またここから身体が、その段階と性質にしたがって熱くなることから、このことは人間のもとで冬でも夏でも明らかにすることができます。さらにまた、血が熱くなることもからも明らかにすることができます。
世の太陽から存在する自然的な熱が、容器として霊的な熱に仕えることは、その霊的な熱から霊をかきたてられ、その補助として働く身体の熱から、特に、すべての種類の動物の春と夏の熱から明らかです。その時、その動物たちはその愛の中へ、毎年、戻ります――
[2]自然的な熱がそのことを行なうのではなく、その熱は、霊界から流入する熱を、その動物の身体が熱を受け入れるように適応させるのです。なぜなら、霊界は、原因が結果へ流入するように、自然界へ流入するからです。
自然的な熱がそれらの愛を生み出すと信じる者は、大いに欺かれています。なぜなら、霊界が自然界の中へ流入し、自然界が霊界の中へ流入するのではないからです。すべての愛は、いのちそのもののものであるので、霊的です――
[3]さらに、霊界の流入なしに何らかのものが自然界に存在すると信じる者もまた欺かれています。なぜなら、霊的なものからしか、自然的なものは存在しないし、存続もしないからです――植物界の対象物もまた、そこからの流入から、その発芽を得ています。春と夏のときに存在する自然的な熱は、ただ種をその生来の形の中で、伸び、開くように、霊界からの流入がそこに原因として働くように、適応させています。
これらのことを示したのは、霊的なものと自然的なものの二つの熱があること、また、霊的な熱は天界の太陽から、自然的な熱は世の太陽から存在し、流入とその後の共同作用が世で目の前に見える結果を示していることが知られるためです(*1)


*1 自然界の中へ霊界からの流入がある(6053-6058, 6189-6215, 6307-6327, 6466-6495, 6598-6626)。
動物のいのちの中へもまた流入がある(5850)。
植物界の対象の中へもまた流入がある(3648)。
その流入は神的秩序にしたがって活動する絶え間のない努力である(6211番末尾)。