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自由について

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人間の自由、流入、伝達を行なう霊について『天界の秘義』からの抜粋

自由について

人間は愛することを自由に行なうので、すべての自由は愛に属し、情愛に属す(2870, 3158, 8987, 8990, 9585, 9591)。
自由は愛に属すので、それぞれの者のいのちである(2873)。
自由からのものでないなら、プロプリウム(固有のもの)のように見えるものは何もない(2880)。
天界の自由と地獄の自由がある(2870, 2873, 2874, 9589, 9590)。

[2]天界の自由は天界の愛に属す、すなわち、善と真理への愛に属す(1947, 2870, 2872)。
善と真理への愛は主からのものであるので、自由そのものは主により導かれることである(892, 905, 2872, 2886, 2890-2892, 9096, 9586, 9587, 9589-9591)。
人間は主により再生を通して天界の自由の中へ導かれる(2874, 2875, 2882, 2892)。
再生されることができるために、人間に自由があることが必要である(1937, 1947, 2876, 2881, 3145, 3146, 3158, 4031, 8700)。
そうでなければ、善と真理への愛が人間に植え付けられることはできず、そして外見上は、人間に自分のものであるようにして自分のものとされることができない(2877, 2879, 2880, 2888)。
強制の中で生じるものは何も人間に結合されない(2875, 8700)。
もし人間が強制から改心されることができるなら、すべての者は救われる(2881)。
改心での強制は有害である(4031)。
自由からのすべての礼拝は礼拝である、けれども、強制からのものはそうではない(1947, 2880, 7349, 10097)。
悔い改めは自由の状態の中でなされなくてはならず、強制の状態の中で生じるものに効果はない(8392)。
強制の状態、それは何か(8392)。

[3]人間に善が備えられるようにと、自由から理性的に行動することが与えられている。それゆえ、人間は悪もまた考え、欲する自由の中にいる、そしてまた法律が禁じないかぎり、行なう自由の中にいる(10777)。
人間は、改心するために自由の中にいるようにと主により天界と地獄の間に、このように均衡の中に保たれる(5982, 6477, 8209, 8987)。
自由の中で植え付けられたものは残る、けれども、強制の中で植え付けられたものは残らない(9588)。
それゆえ、だれにも決して自由は取り去られない(2876, 2881)。
主はだれも強制されない(1937, 1947)。
自分自身を強制することは自由からである、けれども、強制されることはそうではない(1937, 1947)。
人間は悪に抵抗するために自分自身を強制しなければならない(1937, 1947, 7914)。
そしてまた、善を自分自身からのように行なわなければならない、しかしそれでも〔善を行なうのは〕主からであることを認めなければならない(2883, 2891, 2892, 7914)。
試練の闘いの中で勝利する人間には、その時、人間は〔悪に〕抵抗することを内的に考えるので、さらに力強い自由があるが、それでもそのようには見えない(1937, 1947, 2881)。

[4]地獄の自由は、自己愛と世俗愛により、それらの欲望により導かれることである(2870, 2873)。
地獄の中にいる者は、他の自由を知らない(2871)。
天界が地獄から遠く隔たっているように、それだけ天界の自由は地獄の自由から遠く隔たっている(2873, 2874)。
自己愛と世俗愛により導かれることである地獄の自由は、自由ではなく、隷属である(2884, 2890)。
隷属は地獄により導かれることであるからである(9586, 9589-9591)。