カテゴリー

最後の審判 65

64◀︎目次▶︎66

(10)前の天とその破壊について

65「黙示録」の中に言われています、

私は大きな……王座を、座っている方を見た。その方の視野から、地と天は逃げ去った、それらの〔いた〕場所は見あたらない(20:11)

またその後、

私は新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は過ぎ去った(21:1)。

「新しい天と新しい地」によって、また「前の天と前の地」が移ることによって、目に見える天と私たちの住む地が意味されないで、天使たちの天界と教会が意味されることが、〔本書の〕前の第1章とまた続く章の中に示されています。
というのは、みことばは本的に霊的なものであり、それゆえ、霊的なものについて扱っていて、そして霊的なものとは天界と教会のものであるからです。これらは自然的なものは霊的なものに基礎として仕えるので、文字どおりの意味の中に自然的なものによって示されています。そして、このような基礎なしに、みことばは完備したものではないので神的な働き(わざ)となりません。神的な秩序の中で最後のものである自然的なものは、霊的なものと天的なものである内なるものを、家がその土台の上に存続するように、それらの上に存続するために、満たし、つくっています。
[2]さて、みことばの中にあるものについて、人間は自然的なものから考え、霊的なものから考えないので、それゆえ、それらの箇所や他の箇所の「天と地」によって、それは自然界に存在する天と地以外に、他のものを理解しませんでした――ここから、それぞれの者が、それらの移ることと破壊を、その時、新しいものの創造も期待します――しかし、〔彼らが〕それらを永久に、どれかの世代でむなしく、期待しないように、みことばの中の多くのものによって何が意味されるか知られるために、みことばの霊的な意味が開かれました。それらについて、それと一緒に、過ぎ去るであろう「天と地」によって何が意味されるか、自然的に考えるかぎり、それらは理解力に取り上げられません。