新しいエルサレムとその天界の教え 52
52 外なる人に属する自然的な記憶について、また内なる人に属する霊的な記憶について
人間には外的と内的な、すなわち、自然的と霊的な二つの記憶がある(2469–2494番)。
人間は自分に内的な記憶があることを知らない(2470, 2471番)。
内的な記憶は外的な記憶よりもどれほどすぐれていることか(2473番)。
外的な記憶の中にあるものは自然的な光の中にある。けれども、内的な記憶の中にあるものは霊的な光の中にある(5212番)。
人間が知的に、また理性的に考え、話すことができるのは内的な記憶からである(9394番)。
人間が考え、話し、行なったこと、また彼が聞き、見たすべてと個々のものは、内的な記憶の中に書きつけられる(2474, 7398番)。
その記憶は人間の「いのちの書」である(2474, 9386, 9841, 10505番)。
内的な記憶の中に信仰のものとなったもの(真理)と愛のものとなった善がある(5212, 8067番)。
習慣的となった事柄と、いのち(生活)に属するものとなったものは、内的な記憶の中に存在する(9394, 9723, 9841番)。
記憶知と認識とは外的な記憶に属する(5212, 9922番)。
それらは内的な記憶に属するものに比べると、非常に陰の多い、もつれ合ったものである(2831番)。
人間は世では外的な記憶から言語を話す(2472, 2476番)。
霊と天使は内的な記憶から話しており、ここからその言語は普遍的であり、どんな地から〔の出身者〕でも、すべての者が彼らの間で話すことのできるようなものである(2472, 2476, 2490, 2493番。その言語については、著作『天界と地獄』234–245番参照。死後も人間のもとに残る驚くべき内的な記憶については同書の463番〔参照〕)。