カテゴリー

新しいエルサレムとその天界の教え 82

81◀︎目次▶︎83

82 人間のプロプリウム(固有のもの)(これについては〔この〕「教え」の中の前述70番)、それは自己と世への愛である
人間のプロプリウム(固有のもの)は頑固な悪以外の何ものでもない(210, 215, 731, 874-876, 987, 1047, 2307, 2308, 3518, 3701, 3812, 8480, 8550, 10283, 10284, 10286, 10731番)。
人間のプロプリウムは彼の意志である(4328番)。
人間のプロプリウムは自分自身を神よりも、世を天界よりも愛し、隣人を自分自身に対し相対的に何ものでもないとする。そのように自己と世への愛である(694, 731, 4317, 5660番)。
人間のプロプリウムからすべての悪だけでなく、すべての虚偽もまたわき出ており、この虚偽は悪の虚偽である(1047, 10283, 10284, 10286番)。
人間のプロプリウムは彼のもとにある地獄である(694, 8480番)。
そのために、自分のプロプリウムにより導かれる者は、救われることができない(10731番)。
人間がプロプリウムから行なう善は、それは自分自身のためと世のためであるので、善ではなくて悪である(8478番)。

主が〔人間のもとに〕現在されるために、人間のプロプリウムは分離されなくてはならない(1023, 1044番)。
また人間が改心するとき、それは実際に分離される(9334-9336, 9452-9454, 9938番)。
このことは主だけにより行なわれる(9445番)。
人間は再生によって天界的なプロプリウムを受ける(1937, 1947, 2881, 2883, 2891番)。
これは人間に自分のプロプリウムのように見える、しかし、人間のものではなくて、人間のもとにある主のものである(8497番)。
このプロプリウムの中にいる者は、自由そのものの中にいる、主により、また主のプロプリウムにより導かれることは自由であるからである(892, 905, 2872, 2886, 2890-2892, 4096, 9586, 9587, 9589–9591番)。
すべての自由はプロプリウムからであり、それがどんなものかはプロプリウムにしたがっている(2880番)。
天界のプロプリウムがどんなものか(164, 5660, 8480番)。
どのように天界のプロプリウムは植え付けられるか(1712, 1937, 1947番)。