新しいエルサレムとその天界の教え 143
143 法律により押しとどめられないかぎり、悪と虚偽を考え、またそれを行なう自由が人間にある理由は、彼が改心することができるためです。というのは、善と真理が彼のいのち(生活)に属するものとなるために、それらは彼の愛と意志の中に植え付けられなくてはならないからです。このことは彼に善と真理と同じく悪と虚偽も考える自由がないなら、行なわれることはできません――この自由は主により人間のだれにも与えられています。善と真理を考える時、悪と虚偽を愛さなければ愛さないほど、それだけ主は善と真理を彼の愛と意志に植え付け、したがって彼の生活に植え付け、このように彼を改心させます。自由の中で植え付けられたものは残ります、しかし、強制の中で植え付けられたものは残りません、強制は人間の意志からでなく、強制する者の意志からであるからです。ここからまた、自由からの礼拝は主に喜ばれます、しかし、強制からの礼拝は喜ばれません。というのは、自由からの礼拝は愛からの礼拝ですが、強制からの礼拝はそのようなものではないからです。