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新しいエルサレムとその天界の教え 199

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199 試練は善に何をもたらすか
試練は何をもたらすか(要約、1692, 1717, 1740, 6144, 8958-8969番)。
試練によって霊的なまたは内なる人に、自然的なまたは外なる人への支配が得られる、したがって善が悪に、真理が虚偽にまさる。善は霊的な人の中に存在する、なぜなら霊的な人は善がなくては存在することはできず、そして悪は自然的な人の中に存在するからである(8961番)。
試練はそれらの間の闘争であるので、支配について問題とされる。すなわち、霊的な人が自然的な人にまさるか、したがって善が悪にまさるか、またはその逆である。したがって主が人間を、または地獄が〔人間を支配するか問題とされる〕(1923, 3928番)。
外なるまたは自然的な人は、試練によって内なるまたは霊的な人に、真理への情愛に対応する真理を受ける(3321, 3928番)。
内なる霊的な人は試練によって開かれ、外なる人に結合する、それは人間がこの両者に関して高揚されて、主を眺めるためである(10685番)。
内なる霊的な人が試練によって開かれ、外なる人に結合する理由は、主は内側から働きかけ、そこから外なる人に流入し、その中で悪を遠ざけ、征服し、外なる人を内なる人に屈服させ、従属させられるからである(10685番)。

試練は、善と真理の結合のために、真理と善に付着している虚偽を追い散らすために存在する(4572番)。
そのように試練によって善は真理と結合する(2272番)。
真理を受け入れる器は試練によってやわらかにされ、善を受ける状態へ導き入れられる(3318番)。
真理と善は、そのように信仰と仁愛に属するものは、試練によって確信され、植え付けられる(8351, 8924, 8966, 8967番)。
また、悪と虚偽が遠ざけられ、このように善と真理の場所が与えられる(7122番)。
試練によって自己と世への愛が粉砕される、それらからすべての悪と虚偽がある(5356番)。
またこのように人間は卑下させられる(8966, 8967番)。
悪と虚偽は試練によって支配され、分離され、遠ざけられる、しかし滅ぼされない(868番)。
試練によって、身体的なものは、またその欲望は、征服される(857、868番)。
人間はこれらによって何が善と真理か、さらにまたその反対の関係から何が悪と虚偽であるか学ぶ(5356番)。
さらにまた自分には悪以外の何ものでもないことを、自分のもとにあるすべての善は主からのもの、その方の慈悲からのものであることを学ぶ(2334番)。

人間が試練の中で征服することによって、悪い霊は彼に対して行なうさらなる力を奪われる(1695, 1717番)。
地獄は試練を受けて征服した者に対してあえて立ち上がらない(2183, 8273番)。
人間が試練の中で征服した後、善と真理の結合から楽しさがある、それでも人間は楽しさがその時ここからであることを知らない(4572, 6829番)。
その時、信仰に属する真理の照らしと愛に属する善の知覚がある(8367, 8370番)。
ここから彼に知性と知恵がある(8966, 8967番)。
試練の後、真理は無限に増大する(6663番)。
そして善が首位を得る、すなわち第一位にあり、真理は第二位にある(5773番)。
また人間は、内なる霊的な人に関して、天使の社会に入れられ、そのように天界へ入れられる(6611番)。

人間が試練を受ける前に、善とともに真理は、彼のもとで主により順序正しく配列される、〔それは〕彼のもとで地獄からひき起される悪と虚偽に抵抗することができるためである(8131番)。
試練では、地獄の霊が悪を意図しているところに、主は善を備えられる(6574番)。
試練の後、主は善ととともに真理を新しく秩序づけ、それを天界の形に配列される(10685番)。
(霊的な人の内的なものは天界の形に配列されている。著作『天界と地獄』の、そこの「天界の形」の章を参照、その形にしたがってそこに結合がある、200212番)。

試練で倒れる者は、断罪〔の状態〕にやって来る。なぜなら、悪と虚偽が征服し、自然的な人が霊的な人にまさり、そしてその後、支配するからである。その時、後の状態は前の状態よりも悪くなる(8165, 8169, 8961番)。