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聖書について50

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(5)教会の教えは、みことばの文字どおりの意味から汲み取られ、
  それによって確信されなければならない

50 前章で、文字どおりの意味の中のみことばはその満ちたものの中に、その聖なるものの中に、その力の中にあることが示されました。主は、みことばであられるので、というのは、主は、みことばのすべてのものであられるからであり、このことから、主はその意味の中に最も現在され、その意味から人間を教え、照らされることがいえます。
しかしこのことを次の順序で論証します――

(1) みことばは、教えなしに理解されない。
(2) 教えは、みことばの文字どおりの意味から汲み取られなければならない。
(3) しかし、教えに属すべき神的真理は、主から照らされている者にしか見られない。