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神の摂理 253

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253 ここまで、前に提示された(237番)、それらによって単なる自然的な人間が神的な摂理に反して確信することが説明されました。
今から、それらに続くもの(288番)が説明されなければなりません、それらは多くの国民の宗教的な事柄に関係があり、それらもまた単なる自然的な人間に神的な摂理に反する論拠として役立つことができるものです。というのは、前に示されたように(27-45番)、心では、「神的な摂理の目的が人類からの天界であるとき、どのようにこのように多くの不一致の宗教が存在することができるのか、また地球の全地に一つの真理がないのか?」と言うからです。
しかし、聞いてください――
人間がどれほど多く、どんな宗教の中に生まれでも、すべての者は、神を認め、十戒の中にある戒めにしたがって生きるかぎり救われることができます。それらの戒めは、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽りの証言をするな。このようなことを行なうことは宗教に反し、したがって神に反するからである」というものです。
彼らのもとに、神への恐れ、隣人への愛があります。それらを行なうことは神に反していると考えるので、神への恐れがあり、殺し、姦淫し、盗み、偽りの証言をし、隣人の家や妻を欲しがることが隣人に反することであるので隣人への愛があります。
これらの者は自分の生活の中で神へ目を向け、隣人に悪を行なわないので、神により導かれます。導かれる者は、さらにまた自分の宗教にしたがって神と隣人について教えられます。なぜなら、このように生きる者は教えられることを愛するからです、しかし、そのように生きない者は愛しません。教えられることを愛する者は、死後、霊になるとき、天使により教えられ、喜んで、みことばの中にあるような真理を受け入れます。
これらについては、何らかのものが『新しいエルサレムの教え 聖書について』の中に見られます(91-97また104-113番)。