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神の摂理 27

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(2)主の神的な摂理は、人類からの天界を目的としている

27 天界は最初から天使に創造された者からできているのではなく、地獄も、光の天使に創造され、天界から投げ落とされた悪魔からできているのではなく、しかし、天界と地獄とは人類からできていること、天界は善への愛とここから真理の理解の中にいる者から、地獄は悪への愛と虚偽の理解の中にいる者からできていることを、私は、天使や霊たちとの長く続く交際によって、よく知り、明らかにされました――その事柄について、著作『天界と地獄』(311-316番)の中にもまた見られ、なおまたそれは小著『最後の審判』(14-27番)、また『続 最後の審判と霊界』(最初から最後まで)で示されています。
[2]さて、天界は人類からであり、天界は永遠に主と一緒に住むことであるので、そのことは主に〔とって〕創造の目的であったといえます。また創造の目的であったので、それはその方の神的な摂理の目的です。
主は全世界をご自分のためにではなく、天界で一緒にいることになる者のために創造されました。というのは、霊的な愛は、自分自身のものを他の者に与えることを欲するようなものであるから。また、どれだけそのことができるかによって、〔霊的な愛は〕そのエッセの中に、その平和の中に、その幸福の中にいます。
このことを霊的な愛は、主の神的な愛から得ており、それは無限にこのようなものです。
このゆえに、神的な愛は、またここから天界を目的として持つ神的な摂理は、その天界を天使となった人間と天使となる人間から構成し、その者に愛と知恵のものであるすべての祝福と幸福を与えること、またそれらを彼らの中でご自分そのものから与えることができるものであるといえます。
創造から彼らの中にその方の映像と似姿があるので、これと異なることはできません、彼らの中の映像とは知恵であり、彼らの中の似姿とは愛です。そして主は彼らの中で知恵に結合した愛であり、愛に結合した知恵です。すなわち、同じことですが、真理に結合した善であり、善に結合した真理です。その結合については、前章の中で扱いました。
[3]しかし、全般的に、すなわち、多くの者のもとで天界とは何か、また個別的に、すなわち、ある者のもとで天界とは何か、さらに、霊界の中で、また自然界の中で天界とは何か知られていません、それでもこのことは、神的な摂理の目的であり、知ることが重要であるので、私はそれを次の順序で何らかの光の中に示します――

(1)天界は主との結合である。
(2)創造から、人間は主に近くさらに近く結合されることができるようなものである。
(3)人間は、主に近く結合されるほど、ますます賢明になる。
(4)人間は、主に近く結合されるほど、ますます幸福になる。
(5)人間は、主に近く結合されるほど、ますますはっきりと自分自身のものであるように自分自身に見る、そしてさらに明らかに主のものであるものを認める。