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神の摂理 28

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28 (1)天界は主との結合である
天界は、天使からでなくて、主からのものです。なぜなら、愛と知恵が天界をつくり、それら〔愛と知恵〕の中に天使たちはいて、彼らからではなくて、それどころか、彼らの中の主からのものであるからです。
愛と知恵は主のものであり、主は天界におられ、そして愛と知恵は彼らのいのちをつくるので、さらにまた、彼らのいのちは主のものであること、それどころか、主であることが明らかです。
主から生きていることは、天使たち自身が言明しています。
ここから、天界は主との結合であることを明らかにすることができます。
しかし、主とのいろいろな結合が存在し、ここからあるものに比べて他のものに似た天界はないので、さらにまた、天界は主との結合にしたがっていることがいえます。
近くさらにまた近く、遠くさらにまた遠く結合していることは、続く章の中に見られます。
[2]ここにその結合について、どのように行なわれるか、またどんなものであるか、何らかのものを述べます。
天使との主の結合と、主との天使の結合があり、こうして相互の結合があります。
主は天使のいのちの愛の中に流入され、天使は主を知恵の中に受け、このことによって相互的に自分自身を主に結合させます。
しかし、天使には自分自身を知恵によって主に結合させるように見えます、しかしそれでも、主が彼らを知恵によってご自分に結合されることはよく知っておかなければなりません、なぜなら、彼らの知恵もまた主からであるからです。
主は天使たちに善によってご自分を結合させられ、天使たちは相互的に自分自身を真理によって主に結合させる、と言っても同じことです、なぜなら、すべての善は愛のものであり、すべての真理は知恵のものであるからです。
[3]しかし、この相互の結合は、説明されないなら、わずかな者しか理解できない秘義です。私はそれを理解できるようなものによって説明します。
著作『神の愛と知恵』(404、405番)の中に、どのように愛がそれ自体に知恵を結合させるか示されています。すなわち、真理の情愛からのものである知ろうとする情愛によって、真理の知覚からのものである理解しようとする情愛によって、知られ、理解されたことを見る情愛によってであり、その情愛から思考があります。
主はすべてのそれらの情愛の中に流入します、というのは、それらの派生物はそれぞれのいのちの愛からであるから、また天使はその流入を真理の知覚の中に、思考の中に受けます、というのは、彼らにとって、流入はこれらの中にであって、情愛の中にではないように見えるからです。
[4]それで、知覚と思考は天使に自分のものであるように見え、そのとき、それでも主からのものである情愛からであるので、それゆえ、天使が自分自身を相互に主に結合することは外観であって、そのとき、それでも主が彼らをご自分に結合されます。なぜなら、情愛そのものがそれら〔知覚と思考〕を生み出すからであり、愛のものである情愛は、それらの霊魂であるからです。というのは、だれも情愛なしに知覚し、考えることはできず、だれもが情愛にしたがって知覚し、考えるからです。
これらから、主との天使の相互の結合は、天使からではなく、しかし彼らからのように見えることが明らかです。
このような結合が、教会と主に、また主と教会にもあり、それは天的また霊的な結婚と呼ばれます。