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神の摂理 29

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29 霊界の中のすべての結合は、眺めること(熟視)によって生じます。
霊界で、ある者が他の者について、彼と話そうとする情愛から考える時、他の者が直ちに臨在し、互いに顔と顔を合わせて見ます――ある者が他の者について愛の情愛から考える時も同様です。しかし、この情愛によって結合が生ずるのであって、他のものによっては、臨在だけが生じます。
このことは霊界に特有なものです。その理由は、そこのすべてのものが霊的であることです。自然界の中では異なり、その中ではすべてのものは物質的です。
自然界の中で、人間たちのもとで、彼らの霊の情愛と思考の中で同様に生じています。けれども、自然界の中には空間があり、霊界の中では空間は単なる外観であるので、それゆえ、霊界では、それぞれの霊の思考の中で生ずることが実際に生じます。
[2]これらのことは、天使との主の結合が、そして主との天使の相互の結合の外観がどのように生ずるか知られるために言われました。というのは、すべての天使は顔を主へ向け、そして主は彼らを額で見られ、天使は主を目で見るからです。その理由は、額は愛とその情愛に対応し、目は知恵とその知覚に対応するからです――しかし、それでも、自分自身から主へ顔を向けないで、主が彼らをご自分へ向けさせられます。彼らのいのちの愛の中への流入によって、それによって知覚と思考の中へ入られて、このように彼らを向けさせられます。
[3]このような愛の循環が、思考へ、また思考から愛により愛へ、人間の心のすべてのものの中にあります。その循環は、いのちの循環と呼ばれることができます。
これらについてもまた何らかのものが著作『神の愛と知恵』の中に見られます――例えば、
天使は自分の顔を常に太陽としての主に向けている(129-134番)。
天使の心も身体も、すべての内的なものは、太陽としての主へ向いている(135-139番)。
それぞれの霊は、どのようなものであっても同様に自分を支配する愛へ向いている(140-145番)。
愛はそれ自体を知恵に結合させ、そして知恵が相互に結合されるようにする(410-412番)。
天使は主の中にいる、主は彼らの中におられる。天使は受け入れるものなので、主おひとりが天界であられる(113-118番)。