神の摂理 335
335 (2)神的な摂理の働きは、純粋な慈悲からの手段によって絶えず生ずる
神的な摂理の手段と方法があります。
手段から人間は人間になり、そして理解力に関して、意志に関して完全にされます。方法によってそれらの手段が行なわれます。
手段から人間は人間となり、そして理解力に関して完全にされますが、その手段は通常の言葉で真理を呼ばれ、それらは思考の中で観念となり、記憶の中で〔記憶の〕事柄と言われ、本質的には認識であり、それらから知識があります。
本質的に見られたそれらのすべての手段は霊的なものです。しかし、その衣服または服装から自然的なものの中にあるので、自然的なものに見え、あるものは物質的なもののようです。
それらの手段は数で無限であり、そして多様性で無限です。多かれ少なかれ単純なものと組み合わされたものであり、多かれ少なかれ不完全なものと完全なものです。
自然的な市民の生活をつくり、完全にするための手段、なおまた、理性的な道徳の生活をつくり、完全にするための手段、そのようにまた、天界的な霊的の生活をつくり、完全にするための手段があります。
[2]これらの手段は、一つからもう一つ後の種類へと、幼児期から人間の最後の年齢にまでも、またその後、永遠に続きます――また成長して続くように、そのように前のものは後ろのものの手段となります、というのは、それらは手段の原因のように形成されたすべてのものの中に入るから。なぜなら、これらのすべての結果または結論は有効なものであり、ここから原因となるからです。そのように後のものは引き続いて手段になります――このことは永遠に生じるので、閉じる最終のものまたは最後のものは存在しません。
なぜなら、永遠に終わりがないように、永遠に増大する知恵に終わりがないからです。
賢明な者のもとで知恵の終わりがあったなら、絶え間ない増加と結実を構成する彼の知恵の快さは失われます。したがって、そのいのちの快さは、それに代わって称賛の快さとなり、その快さだけしかないなら、その中に天界のいのちはありません。その時、その賢明な人間はもはや若者のようではなく、老人のようであり、最後にはよぼよぼになります。
[3]たとえ天界の中で賢明な者の知恵は永遠に増大しても、やはりそれでもなお、神的な知恵へと触れることができるような天使の知恵の接近は与えられません。
比較すれば、双曲線のまわりの直線について言われるような絶えず近づくけれども決して触れないもの、円を4角にすることについて言われるようなものです。
これらから、神的な摂理が、人間が人間であるように、そして理解力に関して完全にされるよう働く手段によって何が意味されるか明らかにすることができます。これらの手段が通常の言葉で真理と言われます。
さらにまた同数の手段があり、それらによって人間が意志に関して形作られ、完全にされます、しかし、これらは通常の言葉で善と言われます。後者から人間に愛があります、けれども前者から人間に知恵があります。
それらの結合が人間をつくります。なぜなら、それらがどのようなものであるかによって、人間はそのようなものであるからです。
この結合が善と真理の結婚と呼ばれるものです。