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最後の審判 32

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 これらに私は、著作『天界と地獄』の中に記されていても、まだ述べられていない天界のある秘義(アルカナ)を付け加えます。
それぞれの者は、死後、ある社会に結びつけられており、霊界にやって来るとすぐに結びつけられます(その著作の427497番参照)――しかし、霊は自分の最初の状態の中でそのことを知りません、なぜなら、その時、自分の外なるものの中にいて、まだ内なるものの中にいないからです。このようである時、あちらこちらへ行きます、そこへ彼の心(アニムス)の願望が導きます。しかしそれでも、実際にはそこに自分の愛があります、すなわち、〔自分に〕似た愛の中の社会の中にいます。
[2]霊がこのような状態の中にいるとき、その時、他の多くの場所の中に、さらにまたどこでも身体とともに現在しているように見られます、しかし、このことは単なる外観です。そのために、主により自分の支配愛の中に導かれるとすぐに、直ちに他の者の目から消えます、結びつけられている社会の中の自分の者〔仲間〕のもとにいます――このことが霊界の中に特別にあり、原因を知らない者には不思議です。
今や、ここから、霊たちは集められるとすぐに、分離され、さらにまた裁かれ、それぞれの者が直ちに自分の場所の中に、善い者は天界の中に、その社会の中の自分の者〔仲間〕のもとに、そして悪い者は地獄の中に、その社会の中の自分の者のもとにいることになります。
[3]これらからもまた、最後の審判は霊界以外の他のところに存在するようになることができないことを、それぞれの者が自分のいのちの像の中にいることからも、似た生活(いのち)の中にいる者とともにいることからも、明らかにすることができます。そのようにそれぞれの者が自分の者〔仲間〕とともにいます。「自然的な世界の中では異なっています。そこでは善い者と悪い者が一緒にいることができ、ある者は他の者がどんなものか知らないし、自分のいのちの愛にしたがって互いに分離もしません。それどころか、人間はだれでも自然的な身体とともに天界の中にも地獄の中にもいることができません。それゆえ、人間が一方またはもう一方にやって来るために、自分の自然的な身体を出て、脱いだ後、霊的な身体の中で裁かれなければなりません。ここから、前に言われたように、霊的な人間が裁かれ、自然的な人間は裁かれません。