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最後の審判と世の終わり 第二部 33

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33[4230] 旧い教会の終わりの時、そして新しい教会の始まりが近い時、最後の審判があります。みことばの中で最後の審判によって意味されるのはその時です(2117-2133[1―17]3353[1]4057[28]番参照)。そしてまた、「人の子」の来臨によって〔最後の審判が意味されます〕――今から、来臨そのものについて扱います、そのことについて「マタイ福音書」で、弟子たちは主に、〔次のように〕言って、問しました、

私たちに言ってください。いつ起こるのですか、あなたの来られることや世の終わり(世代の完了)のしるしは何ですか? (24.3)。

そこで、今から、説明すべきものを続けます、それらは主が予言された、ご自分の来臨の時そのものと最後の審判である世代の完了についてです。
[2]しかし、この章〔「創世記」第32章〕の前に、32-35節に含まれるものだけを〔述べます〕、それらは次のものです、

けれども、イチジクの木からたとえを学びなさい。すでにその枝が柔らかくなり、葉が芽を出している時、あなたがたは夏が近いことを知ります。このように、あなたがたはこれらのすべてを見る時、あなたがたは戸口に近くにいることを知りなさい。まことに、わたしはあなたがたに言います、これらすべてのことが起こるまで、この世代は過ぎ去りません。天と地は移ります、けれども、わたしのことばは移りません。

これらのことばの内意を以下に続けます。