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最後の審判と世の終わり 第二部 32

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(7)「マタイ福音書」24:32-35の解説 32-34

32 [4229] 主が「最後の審判」について「マタイ福音書」第24章で予言したことの説明を「第3部(巻)」の中で始めました。それらの説明はそこの最後の章の前の序文であり、説明とともに、その福音書の第31節まで続けました(3353-3356[1-4]番3486-3489[5-8]番3650-3655[9-14]番3897-3901[22-26]番4056-4060[27-31]番参照)。それらのすべての内意が、要約して、何かは、そこに説明したことから明らかです、すなわち、教会の連続的な荒廃について、また最後に、新しい教会の設立について、次の順序で述べました――
(1)何が善と真理か知らないことが始まった、しかし、それらについて論争した。
(2)それらを軽蔑した。
(3)心で認めなかった。
(4)冒涜した。
(5)また、依然として信仰の真理と仁愛の善がある者のもとに残るので、その者は選ばれた者と呼ばれるが、その時の信仰の状態が述べられる。
(6)またその後、仁愛の状態が〔述べられる〕。
(7)そして最後に、新しい教会の始まりについて扱われており、それらは最後に説明したことばによって意味されている、すなわち、次のものによって、

また、自分の天使たちを、らっぱと大きな音とともに送り出し、天の端から端まで、四つの方向から、その方の選ばれた者を集めます(第31節)。

それらは新しい教会の始まりを意味します(4060[31]番末尾参照)。