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結婚愛 6

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6 これらの後、天使は天界の楽しさと永遠の幸福について、アブラム、イサク、ヤコブとの宴会、宴会の後、遊びと演劇、そして再び、このように永遠に宴会があるという観念を自分自身に導き出した者に話しかけた——彼らに言った、「私に続きなさい、私はあなたがたをあなたがたの楽しさの幸福へ導き入れます」。
彼らを、森を通って厚板でおおわれた平らなところ(舞台)に導いた、その上に食卓が、一方の側に十五、もう一方の側に十五、置かれていた。
彼らは質問した、「なぜ、このように多くの食卓が?」
天使は答えた、第一の食卓はアブラム、第二はイサク、第三はヤコブのものであり、これらの次に、順に十二使徒の食卓です。もう一方の側に、同じ数の彼らの妻の食卓、最初の三つのはアブラムの妻サラ、イサクの妻リベカ、そしてヤコブの妻レアとラケル、そして残りの十二は十二使徒の妻の食卓です」。
[2]いくらかの時の経過の後、すべての食卓が(十分な)皿で満ち、これらの間のすきまは砂糖菓子の小さなピラミッドで飾られているのが見られた。
宴会に出席する者は、食卓の長を見ることを期待して、それらのまわりに立った。しばらくして、期待された者たち、アブラムから使徒の最後の者まで、行列の(適切な)順序で入って来る者が見られた。じきに、自分の食卓に近づくそれぞれの者が、座列に、その頭(主要な部分)に座った。ここから、周りに立つ者たちに言った、「私たちとともに、あなたがたも食卓に着きなさい」。男たちは彼らの父祖(族長)たちと食卓に着いた。女たちは彼らの妻たちと、喜びの中で、尊敬とともに食べ、飲んだ。昼食の後、それらの父祖(族長)たちは去った。その時、遊び、娘と若者の踊り、これらの後、演劇が始まった。
それらが終わって、再び宴会(ごちそう)へ招かれた、しかし、第一日にアブラムとともに、第二日にイサクとともに、第三日にヤコブとともに、第四日にペテロとともに、第五日にヤコブとともに、第六日にヨハネとともに、第七日にパウロとともに、また他の者と順に第十五日まで食べるといった状況で、そこから再び、同様の順序で祝宴が、座席を変えて更新され、このように、永遠に〔続けられる〕。
[3]この後、天使は群れの男を招集し、彼らに言った、「これらすべての者は、あなたがたともに、天界の楽しさとここからの永遠の幸福ついて同様の想像上の思考の中にいました、それらの者をあなたがたは食卓で見ています。彼ら自身が、主の許しによりこのような宴会の場面から、自分の考え(概念)の空虚さを見ます、それらから導き出され、教えられるためです。あなたがたが食卓の頭に見たそれらの首長は、大部分の者は〔首長の〕役を演じる田舎の人々からの老人でした。その者はひげがあり、いくらかの富から他の者よりも傲慢でした、その者に、昔のこれらの父祖(族長)であったという幻想が引き起こされました。しかし、あなたがたは、この舞台からの出口への道へと、私に従いなさい」。
[4]従った、ここに五十人、そこに五十人を見た。吐き気がするまで食べ物を胃に詰め込んだその者は、自分の家の家族へ、ある者は自分の職へ、ある者は自分の商売へ、ある者は自分の仕事へ戻ることを熱望した——しかし、多くの者は森の見張り番により制止され、彼らの宴会の日数について、ペテロとの食卓パウロとの食卓で食べたか、まだか、と質問された、もし〔それ〕以前に出て行くなら、このことは、不作法なので、彼らに恥となる——しかし大部分の者は答えた、「私たちは楽しみに飽きた、食べ物は私たちにまずいものになり、味覚は干し上がった、胃はそれらを受けつけない、私たちはそれらを味わうことに耐えられない。私たちは数日、数夜、それらのぜいたくの中でだらだらとしてきた、私たちを出してくれるよう、私たちは本気で懇願する」——そして(去ることを)許されて、霊で喘ぐ〔ようにして〕急ぎいで、駆け足で、家へ逃げ去った。
[5]この後、天使は群れの男を呼び、道の途中で、天界についてこれらを彼らを教えた——
「天界に世と等しく、食べ物や飲み物、宴会や祝宴があります。首長のもとの食卓に、それらの上に豊富なごちそう・菓子・珍味があり、それらで心(アニムス)は喜ばされ、活気づけられます。遊びや観劇もあり、音楽の演奏や歌があります。それらのすべてのものは最高の完全さの中にあります——彼らにもそのようなものが楽しさの中にあります、しかし、〔その楽しさは〕幸福の中にありません。これ(幸福)は、楽しさの中にあり、ここから、楽しさからでなければなりません。楽しさの中の幸福が、楽しさを楽しさであるようにし、それらを豊かにし、価値がなくならないように、嫌気がしないように保ちます。この幸福は、それぞれの者に自分の職務の中の役立ちからあります。
[6]それぞれの天使の意志の情愛の中に隠れている何らかの水脈があり、それは心(mens)を行なうべき何らかのものへ引き寄せます。これによって心は鎮まり、満足します。この満足感とその静けさが、主からの、愛の役立ちを受け入れることができる心の状態をつくります。この受け入れから天界の幸福があり、それは前に記された彼らの楽しさのいのち(生活)です。
天界の食べ物は、本質的に、役立ちと一緒の愛と知恵、すなわち、愛からの知恵を通しての役立ち以外の他のものではありません。そのために、天界ではそれぞれの者に、果たした役立ちにしたがって、身体のために食べ物が与えられます。すぐれた役立ちの中にいる者にみごとな食べ物が、中位の段階の役立ちの中にいる者に小さいけれども味のよいものが、卑しい役立ちの中にいる者に卑しい食べ物が〔与えられます〕、しかし、怠け者には何も与えられません」。