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結婚愛 8

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8 この後、天使はキリスト教界からの賢明な者の集会の家へ戻り、天界の楽しさと永遠の幸福は楽園の楽しみ(歓喜)であるという信仰を固めた者を呼んだ。
これらの者に言った、「私に従いなさい、私はあなたがたを楽園へ、あなたがたの天界へ導きます、あなたがたの永遠の幸福〔から〕の至福があなたがたに始まるためです」。
みごとな木の枝と横枝から組み合わせた構造の高くそびえる門を通って彼らを導き入れた——入場の後、遠回りの道を通って場所から場所へ彼らを連れまわした。
天界への最初の入り口に実際に楽園があり、その中へ、世で天界全体は一つの楽園であることを信じた者が入れられる、それは楽園(パラダイス)と呼ばれる。そして、死後に労働からのまったくの休息があり、この休息は、〔これ以外の〕バラの上を歩くような歓喜へ霊魂を引き入れることであるという観念を自分自身に刻みつけた者にとって、他のものではない。ブドウの最も豪奢なブドウ汁(ブドウ酒)を喜び、お祭りの宴会を祝うこと、この生活は天界の楽園の中でないなら存在しないこと〔である〕。
[2]天使により導かれた者は、老人と若者、少年、そしてまた女と少女のおびただしい数の群衆を見た。三人と三人の集団、そして十人と十人の集団、バラの園の上に座っている者、花輪(花冠)を編み、それらで老人の頭を、若者の腕を、そして少年の胸を帯(輪)のように飾る者。他のところに、木から果実を摘んでいる者、かごの中に〔入れて〕仲間へ運んでいる者。他のところに、ブドウ(の実)からブドウ汁を、サクランボやベリー(漿果)から杯の中へしぼっている者、うれしそうに飲んでいる者。他のところに、花からの芳香を、果実そして匂いを放つ葉から発散される〔芳香〕、まわりにまき散らされたものから鼻に引き寄せる者。他のところに、甘い歌を歌い、それらで居合わせる者の聴覚を慰めた者。他のところに、泉に座っている者、わき出る水流の水をいろいろな形へ導く者。他のところに、歩いている者、会話する者、冗談をまき散らす者。他のところに、走る者、遊ぶ者、ここに拍子の中で、またそこに輪の中で踊る者。他のところに、庭園のあずまやに、長椅子の上で横になるために入っている者。さらに多くの者が、他のところに、楽園を喜んでいる者。
[3]これらが見られた後に、天使は自分の仲間を回り道を通ってあちこちへ、そして最後にオリーブの木・オレンジの木・シトロンの木に最も美しいバラの花壇の中に座っている者へ案内した、その者はうなだれて、頬杖をつき、悲嘆し、涙を流していた。
これらの者に同行の天使たちは話しかけ、言った、「なぜ、そのように座っているのですか?」
彼らは答えた、「私たちがこの楽園の中にやって来て、今では七日である——私たちが入った時、私たちの心(mens)は天界へ上げられた、そして、その楽しさの最内部の至福へ入れられたように見られた。しかし3日間の後、それらの至福がつまらなくなり、私たちの心の中で破壊が始まり、そして感じないことが生じ、このように何もなくなった。そのように私たちの想像していた楽しさが消滅したとき、私たちは私たちのいのち(生活)のすべての快感を失うのではないかと恐れた。また、永遠の幸福について何らかのものであるか(=そのようなものがあるか)疑いが生じた——その後、私たちは道や中庭を通ってさ迷い、私たちが入った門をさがした。しかし輪また輪を通ってさ迷った、そして道で出会った者たちに質問した。彼らからのある者が、『門は見つけられない、この楽園の庭園は広い迷宮である、これは、出ることを欲する者が、さらに深く入るようなものである。それゆえ、あなたがたは、ここに永遠にとどまることしかできない。あなたがたは、そこにすべての歓喜があるその真ん中に、その中心にいる』と言った」。
さらにまた、彼らは天使の仲間に言った、「ここに今や、私たちは一日と半、座っている、私たちに出口を見つける希望がないので、このバラの花壇の上に座った。周囲を、おびただしい数のオリーブの木・ブドウの木・オレンジの木・シトロンの木を眺めている。しかしそれらをさらに眺めれば眺めるほどますます、見る視覚は、かぐ嗅覚は、また味わう味覚はうんざりさせられる——これらが悲しみ・嘆き・落涙の原因であり、あなたがたはそれらの中にいる私たちを見る」。
[4]これらを聞いて、集団の〔引率の〕天使が彼らに言った、「この楽園の迷宮は真に天界への入り口です。私は出口を知っています、あなたがたを導きましょう」。
これらが言われて、座っている者は立ち上がり、天使を抱擁し、彼の集団と一緒に、彼に同行した。
天使は途中で彼らに、何が天界の楽しさとここからの永遠の幸福か、楽園の外なる歓喜は楽園の内なる歓喜と一緒でないなら存在しないことを教えた。「楽園の外なる歓喜は単なる身体の感覚の歓喜です、しかし、楽園の内なる歓喜は霊魂の情愛の歓喜です。後者が前者の中にないなら、天界のいのちはありません、前者の中に霊魂がないからです——すべての歓喜は、その対応する霊魂なしに、絶えず繰り返えされることから弱まり、鈍くなり、労働よりも心(アニムス)をくたびれさせます。
天界には、どこにも楽園の庭園があり、これらからもまた天使の楽しさがあり、彼らの中に霊魂の歓喜があればあるほど、それだけその〔庭園の〕歓喜が彼らにとって歓喜となります」。
[5]これらを聞いて、すべての者は質問した、「霊魂の歓喜とは何か、これはどこからか?」
天使は答えた、「霊魂の歓喜は主からの愛と知恵からです。愛は結果をひき起こすものであり、結果をひき起こすものは知恵を通してであるので、それゆえ、二つとも座が結果の中にあり、結果は役立ちです。
この歓喜が主から霊魂へ流入し、心の高いものと低いものを通って身体のすべての感覚へ下り、それらの中にそれ自体を満たします。ここから楽しさは楽しさになり、永遠の根源から永遠なものとなります。
あなたがたは楽園を見ています。私はあなたがたに断言します、愛と知恵の結婚からの役立ちの中にないものはそこに何もなく、葉すらありません。それゆえ、もし人間がこの中にいるなら、天界の楽園の中に、そのように天界の中にいます」。