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結婚愛 16

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16 食卓のまわりに、側近の顧問官・宝物の顧問官・監督官たちが立ち、君主の命令により、手を合わせ、一緒に主へ捧げる賛美をつぶやいた。この後、君主の身振りにより食卓の列に座った。
君主は十人の到来者に言った、「あなたがたもまた私と食卓に着け、見よ、そこにあなたがたの席がある」。彼らは食卓に着いた。前もって君主から彼らに仕えるようにされた廷臣たちが、彼らの背後に立った。
その時、君主は彼らに言った、「それぞれの者が自分の輪から皿を、その後、それぞれの者がピラミッドから小皿を取れ」。取った、すると見よ、直ちに新しい皿と小皿が、置かれたそれらに代わって現われた。そして、それらの杯は大きなピラミッドからわき上がる泉からのブドウ酒で満たされた。食べ、飲んだ。
[2]飽満の中間の後(=〔食事で〕ほどよく満たされた後)、君主は十人の来客に話しかけ、言った、
「私は、この天界の下にある地上で、天界の楽しさとここからの永遠の幸福について、あなたがたが自分の思いを明らかにするために招集されたこと、いろいろな種類のそれらを、それぞれの者が自分の身体の感覚の快さにしたがって明らかにしたことを聞いた。しかし、霊魂の快さなしに身体の感覚の快さとは何か? それらを楽しむものは霊魂である。霊魂の快さは本質的に知覚されることができない至福である、しかし心(mens)の思考の中に、これらから身体の感覚の中に下るほど、ますます知覚できるものになる——心の思考の中で、幸せのように、身体の感覚の中で、快さのように、身体そのものの中で、欲望のように知覚される。これらとそれらからの一緒であるものが永遠の幸福である。しかし、後に位置するものだけからの幸福は永遠ではない、一時的なものであり、それらは終わり、通り過ぎ、時々、不幸なものになる。
今や、あなたがたは、あなたがたの楽しさは天界の楽しさでもあり、これまで考えることができたものよりもさらにまさったものであることを見ている、しかしそれでも、これらは内的に私たちの愛に働きかけない。
[3]主から一つのものとして私たちの霊魂の中に流入する三つのものがある。これらは一つのものとしての三重の実在(三位一体)、すなわち、これは愛・知恵・役立ちの三重の実在(三位一体)である——しかし、愛と知恵は心の情愛と思考の中にだけ存在するので、観念的にしか存在するようにならないが、役立ちは実際に存在する、同時に身体の活動と働きの中にあるからである。またそこに実際に存在するようになり、さらにまたそこに存続する。愛と知恵は役立ちの中に存在するようになり、存続するので、それは私たちに働きかける役立ちであり、そして〔それは〕忠実に、自分の職務の働きを誠実にまた勤勉に果たすことである——役立ちへの愛と、ここから役立ちへの熱意が、心を発散しないように、ぶらつかないように、すべての欲望を吸収するように保つ、それら〔欲望〕は身体からまた世から感覚を通って誘惑とともに流入し、それらから宗教の真理と道徳の真理はその善行とともにすべての方向に追い散らされる。しかし、役立ちへの心の熱意はそれらを保ち、集め、心をそれらの真理からの知恵の容器の形の中へ整える。その時、脇にある虚偽・見せかけの虚栄・ばかばかしいものを追い払う。
しかしこれらについての多くのものをあなたがたは私たちの社会の賢明な者から聞く〔であろう〕、私はそれらの者を、この午後に、あなたがたへ遣わす」。
これらを言って、君主は立ち上がり、その食卓仲間も一緒に立ち上がった、そして挨拶(平安あれ)を言い、彼らの案内役の天使に、彼らを自分の部屋へ戻るよう、彼らにすべての敬意の礼儀を示すよう、そしてまた、この社会のいろいろな楽しさについての話しで喜ばせる上品で愛想のよい男たちを呼ぶよう命じた。