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結婚愛 17

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17 彼らが戻ったとき、そのように行なわれた。都から呼ばれた者たちがやって来た、その者が社会のいろいろな楽しさについての話しで彼らを喜ばせた。これらの者は、挨拶の後、歩きながら、彼らと優雅なことを話した。
しかし彼らの案内役の天使は言った、「これらの十人の男たちはこの天界の中に、その楽しさを見て、ここから永遠の幸福について新しい観念を得るために招かれています。それゆえ、あなたがたの感覚に働きかけるその楽しさについて何らかのものを話しなさい。その後、〝賢明な者〟がやって来て、その者は〔感覚からの楽しさを〕を幸せや幸福なものにする何らかのものを話しに出します」。
これらを聞いて、都から呼ばれた者たちはこれらを話した——
〔(ⅰ)〕心を疲労から回復させるために、ここに君主により命じられた祭日がある、その疲労はある者に競争(張り合うこと)の欲望からひき起こされる。
これらの日に、広場で音楽と歌の音楽会、都の外で遊びと演劇がある。その時、広場に、ブドウのつるから編み合わせた格子をめぐらせた(天井)さじきが設けられ、それらからブドウの房が垂れ下がっている。それらの内部の高くした3列のところに弦楽器とともに、高い音や低い音の、そして輝かしい音色や柔らかい音色の音の楽器とともに、楽士が座り、脇に男女の歌手がいる。最も愛らしい歓呼と歌とともに、混声やソロで、時々、いろいろな種類のもので、市民を喜ばせる。これらはそこで、それらの祭りの日々に、朝から正午まで、この後、夕方まで続く。
[2](ⅱ) さらに、毎朝、広場のまわりの家から、処女と少女の極めて甘美な歌が聞こえ、そこから都全体に響き渡る。一つの霊的な愛の情愛があり、毎朝それが歌われる、すなわち、歌声の加減、または調子(の変化)によって、響き、歌の中のその情愛が〔情愛〕それ自体のように知覚される。聞いている者の霊魂に流入し、その心を対応するものへとかきたてる。このようなものが天界の歌である。
女性歌手たちが言っている、「自分たちの歌声が、内的なものからそれ自体のように吹き込み、いのちを与えます、聞く者による受け入れにしたがって快活に高まります」。
これが終わって、広場の家の窓、一緒に街路の家の窓、そしてまた扉が閉ざされ、その時、都全体が黙る、どこにも大声が聞かれない、歩きまわる者も見られない。その時、すべての者が、自分の職務の役割に集中して取りかかっている。
[3](ⅲ) しかし、正午に扉が、また午後、どこかで窓も開かれ、広場の中の少年と少女の遊びが眺められ、彼らを見守って、彼らの保母と教師が、家の柱廊に座る。
[4](ⅳ) 都の最も外で、少年と若者のいろいろな遊びがある——かけっこ・ボール遊び・ラケットと呼ばれるボールを打ち返す遊びがある。話し、行動し、感じることで、だれが活発で、だれが鈍重か、少年たちの間に舞台でコンテストがある。活発〔であったこと〕のために賞として何らかの月桂冠がある。さらに多くの他のものがあり、それらは少年の中に隠れている可能性を刺激する。
[5](ⅴ) なおまた、都の外に舞台上で、喜劇役者によるいろいろな名誉や美徳の道徳的な生活を表象する演劇があり、それらの間にもまた、関係するもののために、俳優がいる。
十人からのある者が質問した、「関係するもののために、とは何か?」
答えた、「何らかの美徳は、その名誉と美しさとともに、それらの最大のものから最小のものへの関係によってでないなら、生きいきと示されることができない。俳優はそれらの最小のものを何もなくなるまでも表象する。しかし法律で、何らかの反対のものがないように規定されている、それは不名誉なものと醜いものと呼ばれ、偽装させて、遠くからかのように(=婉曲に)示されなければならない——そのような規定がある理由は、ある者の美徳の何らかの名誉なものと善行が連続的な進行を通して不名誉なものと悪行に移らないためである、しかしその最小のものへ、失われるまでも〔移り〕、失われる時、反対のものが始まる。それゆえ、天界は、そこにすべてのものは名誉なものと善行であり、地獄と共通するものを何も持たない、そこ〔地獄〕のすべてのものは不名誉なものと悪行である」。