カテゴリー

結婚愛 29

28◀︎目次▶︎30

29 だれが理性から見ることができませんか? もし見ることを欲するなら、人間が、死後、そよぎ風(プネウマ)でないこと、それ〔人間の霊魂〕について、風のそよぎについて、または空気やエーテルについてのようなもの、また、それがまたはその中に人間の霊魂があること、それが感覚で、またこれらの楽しみで享受することができるために、その身体との結合を、以前のように世で、望み、期待する以外の他の考えがないことです。
だれが見ることができませんか? もし人間が、死後、そのようなものになる時、彼の状態は、魚・鳥・地の動物の状態よりもさらに価値がないことです。それらの霊魂は生きないし、ここから、願望と期待からこのような不安の中にいません。
もし人間が、死後、そのようなプネウマ(そよぎ風)、このように風のそよぎであるなら、その時、宇宙の中を飛ぶかあるいはある者たちの伝説にしたがってある種のプーの中に、または最後の審判まで教父たちとともにリンボの中に保たれます。ここから、だれが理性から結論することができませんか?彼らは、その者は最初の創造から生き、それから六千年が数えられ、依然として同じ不安な状態の中に、だんだんとさらに不安を生じさせる状態の中にいて、願望からのすべての期待が不安を生じさせているので、時間から時間へとその不安がさらに増し、それゆえ、彼らは、依然としてあるいは宇宙の中を飛ぶかあるいはプーの中に閉じ込められて、このように極度の悲惨さの中に保たれることです。同様にアダムと彼の妻は、同様にアブラハム、イサク、ヤコブは、すべての他の者は、その時から同様に〔保たれませんか?〕
これらから、人間〔として〕生まれることよりも嘆かわしいものは何もないことがいえます。
しかし、永遠からのエホバであり、全世界の創造主(つくりぬし)であられる主により、正反対のものが備えられました。その方の戒めにしたがった生活によって自分自身をその方と結合させた人間の状態は、死後、世での以前の生活よりもさらに祝福され、さらに幸福です、人間はその時、霊的であることからさらに祝福され、さらに幸福です、そして霊的な人は卓越している霊的な快さを感じ、知覚します、霊的な快さは自然的な快さよりも千倍もまさるからです。