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結婚愛 28

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28 (1) 死後、人間は人間として生きる
死後、人間が人間として生きることは、今まで世で知られていませんでした、直前のそれらについての理由からです。また、キリスト教界でも知られていないのは驚くべきことです、そこには、みことばがあり、ここから永遠のいのちについて照らしがあり、そこに、主ご自身が、「 すべての死んだ者はよみがえります、神は死んだ者の神ではありません、しかし、生きている者の神です」と教えられています(マタイ22:30, 31, ルカ20:37, 38)。
そしてなおまた、人間は自分の心の情愛と思考に関して、天使と霊たちの真ん中にいます、そして、死なないなら彼らから引き離されることができないかのようなその仲間となっています。
そのときそれでも、最初の創造から死んだすべての人間が、死んだ後、〔家族など〕自分のものへやって来ました、そしてやって来ます、すなわち、みことばの中に言われているように集められました、また集められます――このことが知られないのはさらに驚くべきことです。さらにまた、人間に普遍的な知覚があります、それは彼の心の内的なものの中への天界の流入と同じものであり、それから真理を内的に自分自身の中に、それらの真理を見るかのように知覚します、特に次の真理を知覚します、それは人間が、死後、もし善く生きたなら幸福な生活を、もし悪く生きたなら不幸な生活を送ることです――というのは、心を身体から、また彼の感覚に近い思考から少し高揚させる時、内的に神の礼拝の中にいる時、また死の床に横たわって最期を待つ時、〔このことを〕だれが考えませんか? 死んだ者や彼らの運命について聞く時、同様ではありませんか?
私は、それらについて千回も語りました、例えば、ある者の兄弟・配偶者・友人がどのような運命であったかです。そしてまた、私はイギリス人・オランダ人・ローマカトリック教徒・ユダヤ人・異教徒の運命について、そしてまた、ルター、カルヴァン、メランヒトンの運命について書きました。私は今まで、ある者が、「彼らのそのような運命がどのようなものでありえるのか? そのとき、それでもまだ自分の墓からよみがえっていない、というのは、まだ最後の審判が起こっていない。彼らはその間にプネウマ(そよぎ風)である霊魂ではないのか? またある種のプーに、すなわち、どこかにいるのではないのか?」と言っているのを決して聞いたことがありません。
そのように言われたことを私は今までだれからも聞いていません。そのことから、「それぞれの者が自分自身の中で、人間は、死後、生きることを知覚している」と結論することができます。
配偶者が、そして自分の幼児と子どもが死ぬかまたは死んだ時、彼らを愛しただれが、自分自身に言いませんか? もし身体の感覚的なものの上に思考が高められているなら、〔彼らが〕神の手の中にあること、そしてまた彼らを、自分の死後、再び、見ること、そして彼らと愛と楽しさの生活を再び結ぶことです。