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結婚愛 32

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32 (2) その時、男性は男性であり、女性は女性である
死後、人間は人間として生き、人間は男性と女性であり、男性と女性は別のものであるので、ある者が他の者に代わることはできません、その結果、死後、男性は男性、女性は女性として、両者とも霊的な人として生きることになります。
男性は女性に、女性も男性に代わることができません、それゆえ、死後、男性は男性、女性は女性であることが言えます。しかし、本質的に男性がどこに、本質的に女性がどこにあるか知られていないので、それゆえ、わずかながらここで言っておきます。
相違は本質的に、男性の中の最内部のものが愛であり、このおおいが知恵であること、すなわち同じことですが、知恵でおおわれた愛であることの中にあります。そして女性の中の最内部のものが男性のその知恵であり、そしてこのおおいがここからの愛であることです。しかし、前者の愛は男性の愛であり、また賢明になろうとする愛であり、そして主から知恵の受け入れにしたがって夫へ与えられ、そして後者の愛は女性の愛であり、そして主から妻に夫の知恵を通して与えられます――男性が愛の知恵であること、女性がその知恵の愛であることはそのことからです。それゆえ、創造から、一つのものへの結合の愛が両方のものに植え付けられています。しかし、これらについて続きの中で多くのものを言います。
女性が男性からであること、すなわち女が男から取られたことは、「創世記」の中のこれらから明らかです――

神エホバは……男の肋骨から一つを取り、そのところに肉を閉じ込められた。男から取った肋骨を女に造り上げ、それを人へ連れて来られた。人は言った、「これは私の骨からの骨、私の肉からの肉である。これをイシャと呼ぼう、男から取られたからである」(2:21–23)。

「肋骨」と「肉」が何を意味するかは他の箇所で言います〔193番〕。