カテゴリー

結婚愛 34

33◀︎目次▶︎35

34 (3) 死後、それぞれの者のもとに自分の愛が残る
人間は愛があることを知っています、しかし、愛が何であるか知りません。通常の会話から愛があることを知っています。例えば、彼は私を愛する、国王は臣民を愛し、臣民は国王を愛する、夫は妻を愛する、また母は子どもを愛し、その逆も、さらにあれこれの者が祖国・仲間の市民・隣人を愛する——同様に、人物から抽象された事柄について、これやあれやを愛する、とこのように言われています。
このように会話の中で愛は万人共通のものですが、それでも愛とは何かほとんど知りません。愛について熟考する時、そのことについて何らの観念を形成することもできないので、それを、「何でもない、あるいは単に視覚・聴覚・触覚・交際から流入し、こうして〔心を〕動かす何らかの存在である」と言います。いのちそのものであることを、全身の全般的ないのちと彼のすべての思考の全般的ないのちだけでなく、個々のもののすべてのいのちであることをまったく知りません。
賢明な者はこのことを、「もし、あなたが愛のものである情愛を取り去るなら、何かを考えることができますか? 何かを行なうことができますか? 愛のものである情愛が冷たくなるほど、それだけ思考・話すこと・行動は冷たくなりませんか? 熱くなるほど、それだけそれらも熱くなりませんか?」と言われるとき、ここから知覚することができます。
そこで、愛は人間のいのちの熱、すなわち彼の生命力の熱です。血の熱は、そしてまたその赤色は、他のところからではありません。天使の太陽の火が、それは純粋な愛であり、これをひき起こします。